ガラス製アンプルの中に入っているという「パリの空気50㏄」、じつに教えが深く、鑑賞者の心理をくすぐり、翻弄する。
「パリの空気50㏄」を取り分けることなど不可能である。空気の分量を限定することも困難である。実験的な証明はあるが、日常生活における空気が論点である。人間(生物)にとって絶対に必要不可欠である空気であるが、地域別になど絶対に分割することはできない。
わたしたちは空気に慣れ親しんでおり、あまりにも当然、しかも身近過ぎるゆえに、空気の神聖さを忘れがちである。
《絶対に》という言葉がある。初めからの必然であり、偶然の入り込む余地のない状態を指す。空気を思い通りに分割する、一見可能に見えるこの試み、まして、分割した挙句名付けることなどできようか。
根本原理の提示、原始地球の大気からの変化についてではなく現今の空気一般である。不可視なものへの課題、見えないことの意味を思考している。
『パリの空気50㏄』はデュシャンの黙した提議である。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより
僕は殆んど自己を忘れてこの雑踏の中をぶらぶらと歩るき、やや物静なる街の一端に出た。
☆目(ねらい)の他意は、字で個(一つ一つ)謀(図る)造りである。
問うことで註(意味を明らかにする)。
普く仏の済(救い)の我意である。
逸(隠れている)譚(話)を推しはかる。
Kが最初に聞かされたことは、ペーピの不幸はじつはKの罪なのだが、彼女はそれをすこしも根にもっていないということであった。
☆Kが真っ先に知ったのは、ペーピの不運は本当はKの後ろめたさなのだが、しかし、小舟は届くことがなかった。