空気は冷却すれば水になり、加熱すれば蒸気(気体)になる。ガラス製アンプルの下部に水滴が見える、空気には質量があり、ほかの物質を含み変異する。しかし、それを「パリの空気」と名付けることは、比ゆ的には可能かもしれないが実質的には根拠がなく証明できない。
基本的に空気は見えず、容器の中にパリの空気50㏄を閉じ込めることはできない。不可を可能にするのは《言葉》だけである。
空気(不可視)という物に対し命名する、それは《無》を《有》にすり替えるに等しい。
決して手につかみ取ることのできない空気を測って封印する。奇想であるゆえに、もしかしたらの肯定が鑑賞者の心理に入り込まないとは限らない。
その心理の揺れである。物理的に証明できないことを精神的には許容してしまうという闇の空間が『パリの空気50㏄』と鑑賞者の間に発生するということである。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより