続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)㊾+

2020-08-18 09:48:13 | 飯島晴子

   金蠅も銀蠅も来よ鬱頭

 金蠅も銀蠅も・・・銀も金も何せむにまされる宝子にしかめやも(憶良)を踏まえた句である。
 金銀にも勝るという子を始め、蠅のように煩がられ、追われる人たちも、皆いらっしゃい。このわたし(鬱頭)も迷える人ですから。(この世はみんな平等なんですよ)と。

 金蠅はキン・ヨウと読んで、襟、要。
 銀蠅ハギン・ヨウと読んで、吟、要。
 来よはライと読んで、頼。
 鬱頭はウチ・トウと読んで、内、問う。
☆襟(心の中)を要(まとめて)吟(詩歌を作る)。
 要(かなめ)の頼(たより)は、内(心の中)を問うことである。

 襟蠅はキン・ヨウと読んで、近、様。
 銀蠅はギン・ヨウと読んで、吟、様。
 来よはライと読んで、磊。 
 鬱頭はウツ・トウと読んで、鬱陶。
☆近(距離が近い、血縁関係が深い)様(ありさま)も、吟(声を出して歌う)様(ありさま)も、磊(小さなことにはこだわらない)が、鬱陶しい。


『飯島晴子』(私的解釈)㊽+

2020-08-18 09:22:51 | 飯島晴子

   春嵐足ゆびをみなひらくマリア

 無機の素材で作られた偶像のマリアさま。なのによく見ると、足の指が開いている。春嵐に立ち向かう姿はグイと雄々しくまるで意志あるもののようである。

 春嵐はシュン・ランと読んで、竣、欄。
 足ゆび(足指)はソク・シと読んで、即、試。
 みなひらく(皆開)はカイ、カイと読んで、皆、諧。
☆竣(出来上がった)欄(手すり)を即(すぐに)試す。
 皆(すべて)諧(整い、調和している)。

 春嵐はシュン・ランと読んで、悛、乱。
 足ゆび(足指)はソク・シと読んで、則、自。
 みなひらく(皆開)はカイ・カイと読んで、改、戒。
☆悛(改める)乱れた則(きまり)。
 自らを改めて戒める。 


R.M『本来の意味』

2020-08-18 06:41:48 | 美術ノート

   『本来の意味』

 意味とは何であったのか。言葉、雰囲気、表情、動作、記号、あるいは作品(絵画、文芸、劇)など、人間的感覚で伝え得る内容…。
 意味とは人と人をつなぐツールの中に内在するもので、必ずしも完全ではないが、意味を読み取る力はデータの集積により判断の質は高まると信じられている。

 しかし、この画を見て『本来の意味』と提示されても明確には判断がつきかねる。黒い枠の中の黒く太い対角線は、否定を想起させる。これより先への侵入を阻むという態である。
 四分の一にある、corps de femme (女の身体)という文字、ある程度意味を想起可能にする。しかし全体のバランスから言えば通じるものを見いだせず、むしろ不明の色が濃い。レンガ(火の使用/叡智)、青(空間)、暗緑色、それぞれ言葉に匹敵する意味を所有する。以上でも以下でもない意味の範囲は主体の所有する眼識に因るものである。

 主張するものを的確に把握すべきツールが意味本来の役割である。ただ人間の感性には差異があり、各人のデータの集積は目に見えず、感知の程度は計れない。
『本来の意味』そのものに混沌の深淵が潜んでいるので、本来の定義は不確定である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』15.

2020-08-18 06:21:21 | 宮沢賢治

「君、ちやうどいゝ。こゝはこれでなかなか開けてるんだ。入らうぢやないか」
「おや、こんなとこにをかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだらう」
「もちろんできるさ。看板にさう書いてあるぢやないか」
はいらうぢやないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れさうなんだ。」


☆訓(教え導き)解(さとす)のは新しい。
 化(教え導くこと)の自記は字を換(入れ替えること)で判かる。
 化(教え導くこと)は、太陽の平等である。


『城』3479。

2020-08-18 06:02:18 | カフカ覚書

そうすれば、センセーションがもちあがり、人びとは、いつまでもそのことを話題にし、最後には、クラムの愛人であるとはどういうことか、また、新しい恋に陶酔してこの名誉を投げすてるとはどういうことであるかを、もう一度思いだしてくれるだろう、というわけです。


☆そうすれば評判を作り出すことができ、人びとはそれをいつまでも尽きることなく語るでしょう。新しい愛に有頂天になり名誉を投げ捨てるとは…。
 クラムの愛人であることの意味を、再び思いださせるというわけです。