続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)下紅葉。

2021-06-01 07:05:40 | 飯島晴子

   下紅葉姉の眼光待つてをり

 下紅葉はゲ・コウ・ヨウと読んで、解、乞う、庸。
 姉の眼光はシ・ゲン・コウと読んで、試、現、講。
 待つてをり(待居)はタイ・キョと読んで、殆、虚。
☆解(部分部分に分けること)を乞う(お願いする)。
 庸(つね)に試みると、現れる講(話)は殆(ほとんど)虚(中身がない)。

 下紅葉はカ・コウ・ヨウと読んで、家、構、様。
 姉の眼光はシ・ガン・コウと読んで、視、頑、衡。
 待つてをり(待居)はタイ・キョと読んで、対、居。
☆家の構えの様(姿)を視(よく見ると)頑(強く丈夫なさま)がある。
 衡(釣合)が対の居(住まい)である。

 下紅葉はカ・コウ・ヨウと読んで、化、更、要。
 姉の眼光はシ・ガン・コウと読んで、詞、含、考。
 待つてをり(待居)はタイ・キョと読んで、他意、拠。
☆化(形、性質を変えて別のものになる)。
 更(新しく入れ替える)要は、詞(言葉)に含まれる考(思いめぐらし、判断する)の他意に拠るものである。


若林奮『Ⅱ-1-4』

2021-06-01 06:37:16 | 美術ノート

   Ⅱ-1-4 「所有・雰囲気・振動—森のはずれ」のための模型 No9

 ボックスである、外壁は草木、建築物だろうか…普通にみる景色が空の空間の外部を覆っている。
 視野に収まる光景が、空を含む空間(形を把握できないもの)を閉塞している。

 現実空間をひっくり返したような非現実的な提示を目撃する違和感。しかも俯瞰し覗き込むという構成である。空は無限に広く集約など論外、太刀打ちできないと確信している。自己VS空間はあり得ず、常に空間に包囲されているのではないか。
  
(そうあるべき景色)を解体している。存在している目に見える景色が、目に把握できない空(クウ)を捉え包囲するという矛盾、錯綜、転回、真逆の現象。

 この作品を前にすると、自分の立ち位置を失ってしまう。自分という存在への確信が揺らいでしまう。巨大になったり微細(微塵)になったり、激しい揺らぎに襲われる。美醜や善悪を超えた不思議に無機的な感覚に襲われるのであり、自分という確信を瞬時失いかけるのである。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3663。

2021-06-01 06:22:00 | カフカ覚書

それでは、おっしゃい! この服のどこがおかしいの」
「それを言うと、あなたは、気を悪くなさるかもしれません」
「とんでもありません、笑いだすかもしれませんよ。どうせ子供っぽいおしゃべりにすぎないでしょうから。で、この服は、どうなのですか」


☆何なら話してごらんなさい。この訴えのどこが異常なの」
「それを言ったら悪い事態になるでしょう」
「いいえ、そのために復讐するかもしれません。無邪気なおしゃべりにすぎませんが。要するにこの訴えはどうなのでしょう」