続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)目前の。

2021-06-22 07:14:38 | 飯島晴子

   目前の冬木に禽をよせて逝く

 目前はボク・ゼンと読んで、睦、善。
 冬木はトウ・ボクと読んで、道、撲。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、勤、嬉、誓。
☆睦(仲よくすること)は善(よいこと)である、と道(言う)。
 僕(わたくし)は勤(つとめて)嬉(遊び楽しみ喜ぶ)と、誓う。

 目前はモク・ゼンと読んで、目、全。
 冬木はトウ・モクと読んで、套、黙。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、僅、記、成。
☆目(ねらい)は全て套(覆って)黙っている。
 僅(わずか)に記(書いたもの)から成(出来上がる/ある状態になる)。

 目前はボク・ゼンと読んで、撲、然。
 冬木はトウ・ボクと読んで、党、睦。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、謹、貴、静。
☆僕(わたくし)は然り、党(仲間)と睦(仲よくし)謹(かしこまっている)。
 貴(敬意を表し)静かにしている。

 目前はモク・ゼンと読んで、黙、然。
 冬木はトウ・ボクと読んで、倒、木。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、禁、規、制。
☆黙然(だまって)倒木(木を倒すこと)は禁じられている。
 規制(法律を整えて物事を制限すること)がある。


若林奮『Ⅲ-3-7』

2021-06-22 06:29:27 | 美術ノート

   Ⅲ-3-2〔無題(鉛の葉 桐)〕Ⅲ-3-5〔無題(銅葉 桐)〕

 葉の形を模している、しかし異質である。決してこうはならず、繋がらない質の変換。置き換えられた葉は何を意味するのだろう。

 無機質と有機質は永遠に融合しない。腐食と残存、蘇生と不変、この隔たりは平行線をたどる。にもかかわらず、この質的変換を試みたのは単に葉を金属板で表現したのとは違う意図があるはずである。

 個々は、決して同一ではなく種や属で一括りにされ、根幹を同じにしても個々は微妙に違う主張を持っている。銅(金属板)で模り提示する違和感。しかも徹底的に細部にこだわった模型ではなく、名づけられたものとしてのざっくりした提示にすぎない。

 過去の歴史、地球創世記まで辿っても葉(有機)と金属(無機)との接点はない。もちろん未来においても・・・。
 葉にはDNAがあり、連鎖がある。いわば一つの生命体である。この生命が無機に変換されるということは(死)である。蘇生の拒否、終止符の打たれた形である。

 葉は枯渇あるいは腐食して最期となるが、金属に置換すれば、永遠の表象となる。
《生命への畏敬の念》、精神の振幅、心の揺れの極点を模索したものではないかと思う。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『国道の子供たち』7。

2021-06-22 06:11:43 | カフカ覚書

 それから小鳥の群が火花のように飛び立った、目でそのあとを追いながら、かれらが人息に高く高く上って行くのではなくて、ぼくが墜落していくような気がした、ぼくは網に難くしがみついて、心細さのあまりすこしブランコを揺りはじめた。


☆それから鳥が飛散し、輝いて見えたので後を追った。一呼吸で昇っていくのを見ていると、それは本当ではなく、わたしが落ちていくようだった。わたしは網を固くつかんで、不確かにブランコ(公平・公正)を揺らし始めた。