続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)石庭や。

2021-06-27 08:32:18 | 飯島晴子

   石庭や十一月の赤子抱く

※石、岩、砂の美を究めた簡素な、しかし寒々しい庭。これから寒い冬に向かう十一月。赤ん坊よ、(無事に育て)と祈りを込めて抱いている。

 石庭はシャク・テイと読んで、釈、態。
 十一月はジュウ・イツ・ガツと読んで、自由、溢、合。
 赤子抱くはセキ、シ、ホウと読んで、晰、詞、逢。
☆釈(意味を解き明かす)態(ありさま)は自由が溢れている。
 合わせると、晰(明らかになる)詞(言葉)に出会う。

 石庭はセキ・テイと読んで、戚、程。
 十一月はジュウ・イツ・ガツと読んで、従、逸、合。
 赤子抱くはセキ・シ・ホウと読んで、籍、使、胞。
☆戚(身内)の程(きまり)に従うことが逸(隠れている)。
 合(一緒)の籍(戸籍)を使う胞(同胞)である。

 石庭はシャク・テイと読んで、綽、邸。
 十一月はジュウ・イツ・ガツと読んで、住、逸、合。
 赤子抱くはシャク・シ・ホウと読んで、借、師、放。
☆綽(ゆったりと落ち着いている)邸(やしき)に、住まいと逸(気楽/俗から抜け出している)を合わせて借りている。
 師(先生)は放(思いのままにしている)。


鈴木しづ子(私的解釈)親のこと。

2021-06-27 08:19:03 | 鈴木しづ子

   親のことかつておもはず夾竹桃

 一人で育ったような顔をして、親は親、わたしはわたし。傲慢にも思いのままに過ごした娘時代。耳を傾けることもなかった苦言、当たり前のように受け入れていた養育保護の任・・・親の袖にぶら下がっていたという自覚の欠如。

 情けないねぇ、不徳の致すところ…今頃気づくなんて。ごめんなさい、まったく夾竹桃だよ。平凡な樹の平凡な花、なのに毒がある。猛毒を孕んだ夾竹桃、コンチキショウなわたし。