続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)雪姥の。

2021-06-17 07:17:08 | 飯島晴子

   雪姥のからだにあはせ雪の木や

※雪が降り積もり風の向きにしなっている光景は、雪姥の化身のようである。

 雪姥はセツ・ボと読んで、説、募。
 からだにあはせ(体合)はテイ・ゴウと読んで、程、豪。
 雪の木はセツ・モクと読んで、接、目。
☆説(話)を募る程(みちのり)は、豪(才知や力が優れている)接(人と会うこと)が目(ねらい)である。

 雪姥はセツ・ボと読んで、窃、模。
 からだにあはせ(体合)はタイ・ゴウと読んで、態、拷。
 雪の木はセツ・ボクと読んで、切、撲。
☆窃(ひそか)に模(似せて作る)態(ありさま)には拷(責めて苦痛を与え)切(断ち切る)僕(わたくし)である。

 雪姥はセツ・ボと読んで、摂、簿。
 からだにあはせ(体合)はタイ・ゴウと読んで、太、合。
 雪の木はセツ・モクと読んで、切、黙。
☆摂(大切にする)簿(ノート)は太(物事の基となるもの)である。
 合(一つに合わせること)を切(すべて)黙っている。


鈴木しづ子(私的解釈)月の夜の。

2021-06-17 07:00:44 | 鈴木しづ子

   月の夜の蹴られて水に沈む石

 皓々とした月明かり、誰もが家の中で安らぎ寛ぎ眠るころ、わたしはひとり月影に立っている。
 違う、どこかが違う、道を外したのだろうか。そんなはずはない・・・わたしは生きている、なお、それでも・・・くりかえす煩悶。
 闇夜の石、手に持つまでもなく、ため息交じりに蹴ってみる。当然のごとく水底に沈んでいった石。石が浮き、軽い葉が沈むと聞いたことがあるが、そんな不条理は通用しない。

 理の当然、石は水に沈むという条理。この世の常に逆らっては生きていけないと、己を嘲笑う。


若林奮『Ⅱ-5-4』

2021-06-17 06:38:00 | 美術ノート

   Ⅱ-5-4 水没Ⅱ

 直方体の台の上に横縞の重複が続く層が乗っている。
 水没とあるが、浮き出ており、没をイメージできない。直方体の台は地球の相(地殻)かもしれない、その上に現れたものは地層。地層のほとんどは水(海や湖)の中で生成される。

 ひっくり返してみた景色であり、地層は噴火などで地表に現出する。歴代の証拠であり、時間をさかのぼることのできる唯一の手掛かりである。

 水没からの~、ということだろうか。原風景の原初、時間による集積の面、その重なり。地球創生への遥かなる思いを究極単純化した作品、そういう感想を抱かせる。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館