続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)朝晩の。

2021-06-25 07:14:31 | 飯島晴子

   朝晩のくるしい水仙ふところに

 朝晩はチョウ・バンと読んで、弔、挽。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、苦、推、千、悔。
☆弔(とむらい)で挽(死を悼む)のは苦(精神的に辛い状態)を推しはかると、千(たくさん)の悔(くやむこと)がある。

 朝晩はチョウ・バンと読んで、兆、判。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、句、粋、選、甲斐。
☆兆(きざし)が判(解る)句(俳句)は粋(すぐれている)。
 選ぶ甲斐(ある行為に値するだけの良いしるし、効き目)がある。

 朝晩はチョウ・バンと読んで、長、盤。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、工、遂、選、塊。
☆長(すぐれた)盤(大皿)を工(作ること)を遂(やりとげる)には、選(多くの中からえらぶ)塊(土の塊)がある。

 朝晩はチョウ・バンと読んで、帖、番。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、句、推、千、解。
☆帖(ノート)には番(組み合わせる)句(言葉)を推しはかる千(たくさん)の解がある。


若林奮『Valleys(2nd stage)』

2021-06-25 06:33:38 | 美術ノート

   Valleys(2nd stage)

 横須賀美術館前に設置されたこの作品、通るたびに考えている。設計図にあるようにもともとは、二本の通路が背中合わせになっている構図である。

 一方を行けば他方は未知であるという関係、限りなく道は続いていくその一端の提示を鑑賞者は歩く。
 道の選択、二分の一は想像するしかない、存在しているが選ばない限りそれは無いのと同じである。

 見えない、知らない世界は見えている世界に等しいだろうか。夢想の基本はここにあり、未来永劫の時間と地球(宇宙)創生の過去の時間。過去の時間は確かに存在していたが、未来は現在に続く道(時間)であること以上には不明である。

 過去と未来、生と死・・・現時点からの選択、あるいは免れ得ぬもの(時間)は、選択の自由を委ねられていないかもしれない。
 わたしたちは常に存在を生き、非存在(不在)を夢想する。無からの大いなる束縛は存在を常に脅かすものであるが、宿命という名のもとに見えないものを背に負っている。存在の半分は非存在の振動を受け、非存在との共同体である。道は空と地底、過去と未来を孕んだ細く長く続く低地である。


『国道の子供たち』10。

2021-06-25 06:11:59 | カフカ覚書

目の荒いレースのカーテンが暖かい風をうけてふくらんだ。ときおり、外を通りかかってぼくの様子を覗き込もうとしたり、ぼくと話そうとしたりする誰彼が、そのカーテンを手で掴んだ。


☆強い非難は警告するかのように風を受けて膨らんだ。幾度か外を通りかかり彼らはわたしのほうを見て無造作に非難をあらわにしていた。