続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)小豆箱。

2021-06-09 07:25:49 | 飯島晴子

   小豆箱すぐすの横に来て死ぬる

 小豆箱はショウ・トウ・ソウと読んで、抄、盗、草。
 すぐすの横(直巣横)はチョク・ソウ・オウと読んで、直、想、往。
 来て死ぬるはライ・シと読んで、頼、始。
☆抄(かすめ取り)盗むことは、草(粗末)で直(他を介さない、気楽な)想(考え)である。往(その後)、頼り始める。

 小豆箱はショウ・トウ・ソウと読んで、証、問う、総。
 すぐすの横(直巣横)はシキ・ソウ・オウと読んで、自記、挿、応。
 来て死ぬるはライ・シと読んで、頼、詞。
☆証(うらづけ)を問う総ての自記は挿(差し込んだ)応(他の動き、力に従って動く)を頼りにする詞(言葉)がある。

 小豆箱はショウ・トウ・ソウと読んで、症、闘、相。
 すぐすの横(直巣横)はジキ・ソウ・オウと読んで、直、早、応。
 来て死ぬるはライ・シと読んで、磊、試。
☆症(病気の兆候)と闘う相(ありさま)は直(ただちに)応じ、磊(小さなことにこだわらない)で試みることである。

 小豆箱はショウ・トウ・ソウと読んで、焼、棟、相。
 すぐすの横(直巣横)はチョク・ソウ・オウと読んで、直、喪、負う。
 来て死ぬるはライ・シと読んで、頼、旨。
☆焼けた棟(建物)の相(ありさま)は、直に喪(ほろびること)を負い、頼(他の助けをたのむ)旨(考え)である。


鈴木しづ子(私的解釈)病ら葉よ。

2021-06-09 06:54:03 | 鈴木しづ子

   病ら葉よかくまで恋ふと知られけり

 病ら葉…病気や害虫に蝕まれて傷んだ葉、夏に赤や黄に色づいた葉である。
 すでに傷だらけの身である。傷を覚悟の恋、痛みは心身、しんしん…わたしを蝕んでいる、身動きできないほどに。

 恋など、きっぱり捨ててしまえば健全な笑いを取り戻せるに違いない。なのに、恋の深さ情慾に抗う術が見つからない。どこまでもどこまでも理性は失われ、感情に溺れていく、この麻痺によって崩れ落ちていく日常。

 かくまでに、恋の極限はあるだろうか。底の無い深みに落ちていく快感は日常の規律に反比例する。痛みを抱えたこの身の飽くなき執着、この迷妄を彷徨っている。
 知らされたのは至福だろうか、否、自虐である。


若林奮『Ⅱ-1-10』

2021-06-09 06:21:48 | 美術ノート

   Ⅱ-1-10 大気中の緑色に属するものⅡ(部分)

 人間の瀬よりもずっと高く、垂直に切り立っている壁、断層と言うか断片の重層は鑑賞者を包囲し、脱出が不可能であるかの脅威で迫る。
 遠くに見える山、しかし近づくと上ることも下りることもできない絶壁が立ちはだかっているという感想である。
 静謐だが威圧感があり、触れ得ない世界(領域)という態である。

 これを『大気中の緑色に属するもの』と、タイトルされても緑色は見当たらず、緑色の意味さえ把握できない。緑、太陽の光を受け光合成によって酸素を排出することを可能とする唯一の《緑》、植物を指すのだろうか。その緑色に属するものと言っている。しかも大気中とある。
 大気中、地球は確かに大気に囲まれており、大気中の地球である。
《緑色に属するもの》、生きるのに必須である酸素を出す緑(植物)に属するものとは《大地》ではないか。

 そしてわたし達の存在は総て緑色に依存している。
「大気中の緑色に属するもの」とは《存在そのもの》である。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館

 


『城』3669。

2021-06-09 06:01:40 | カフカ覚書

びっくりなさって」
「いいえ、たぶんそういうことだろうと見当がついていましたよ。あなたはたんなるお内儀さんだけじゃない、とさっきも申しあげたでしょう。あなたは、なにかほかの目的をもっていらっしゃる」
「わたしの目的は、美しい衣裳を身につけることだけですわ。あなたは、おばかさんか、子供か、でなければ、腹ぐろい危険人物だわ。


☆驚きましたか」「いいえ、そんなことだろうと思っていました。あなたはただの女主人ではない、あなたは目的を持っている」
「わたしの目的は立派な氏族になることだけです。あなたは、その親密さ、先祖の子供、あるいは先祖の腹を立てている重大な人物だわ。