続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』1713。

2014-08-18 06:22:39 | カフカ覚書
しかし、そうでなくても、先生、わたしとあなたとが直接衝突することは避けられたでしょうから、わたしにとってはありがたいことだったでしょう。もしかしたら、あなたにとっても、そのほうが好ましいことかもしれませんね。しかし、こんどは助手どものためにわたしを犠牲にしてしまったものですからー」


☆しかし、そうでなければ大群への教示でわたしとあなたが直接激突することは避けられたでしょう。もしかしたら、それどころか、あなたにもまた好ましいことだったのかもしれません。しかし、フリーダ(平和)は助手(脳/精神)のために犠牲になってしまったのです。

真夜中の月。

2014-08-17 07:16:40 | 日常
 夜中の二時、不意に目が覚めて階下で水を呑んだ。
 何気なくタンクの汚れを拭き取ると、なぜか洗剤を手に取り、やおらゴシゴシ磨き始めた。日中の暑さもなく心地いい風が窓から静かに流れてくる。
 つぎはガスレンジ・・・床も・・・テーブルの上も・・・。

 真夜中がこんなに楽しいなんて! 《おもちゃの兵隊が踊りだす》なんていう歌があったけど、そんな気分。
 ついでにお米もセットして朝食の準備もあれこれ考えて・・・いいなあ、この時間帯。いつも眠っていたけど眠るにはもったいないほどの快適。
 でも夜中に起きるというサイクルにするには就寝時刻を前倒しにする必要が出てくるし、日中睡魔に襲われてポカーンと空白タイムが生じる可能性も否定できない。


 思えば、二十四時間はおろか一年中ほとんどを自由に使える老年時代って素晴らしい!老いて身体機能に支障は多発、見るからに老人の態、速く進みたくとも薄汚れた廃棄寸前のネジ巻きおもちゃ同様の摺り足。
(気持ちはね、若い頃と変っていないの)なんて言おうものなら、若い人は気持ち悪がって退いてしまうかもしれない。

(子供と同じ)この表現のほうが適切で、(そのうち赤ちゃん帰りね)などと肯かれて、万事丸く収まるというもの。少しの配慮で楽しく暮らせる高齢時代。

 真夜中は若者だけのものではない、高齢者にとっても更なる自由を与えられたような特別の時間。
 かつて父が存命だった頃、夜中の二時に起きて雨戸を開け、月を眺めていたことがある。「こんな時間から雨戸を開けるのはやめて頂戴」とわたしは父を叱り付けた。

(ごめんなさい、ごめんなさい)今頃になって、真夜中の時間の芳醇に目覚めるなんて・・・はやく気づいて一緒に月を眺めたらよかったのに・・・お爺さん、ごめんなさい。娘のわたしもすっかりお婆さんになりました。

『ポラーノの広場』425。

2014-08-17 07:07:13 | 宮沢賢治
「うん、さう急がないでもよろしい。」所長はカラーをはめてしまってしゃんとなりました。わたくしは礼をして室を出ました。

 急がないではキュウと読んで、求。
 所長はショ・チョウと読んで、諸、眺。
 礼はライと読んで、頼。
 室はシツと読んで、悉。
 出ましたはスイと読んで、推。

☆求める諸(もろもろ)を眺めることの頼り悉(すべて)を推しはかる。

『城』1712。

2014-08-17 06:17:42 | カフカ覚書
「たとえ助手たちがすこしばかり折檻されたところで、わたしは、気の毒だともおもわなかったことでしょう。これまでに折檻されて当たりまえのところを十回もこらえてやったのですから、彼らにしてみれば、こんどは折檻される理由はなかったにしろ、とにかく一回で十回分の罪ほろぼしができるわけですからね。


☆たとえ助手たち(脳/精神)が少しばかり叩かれたところで、わたしは残念に思わなかったでしょう。先祖の汚点が十戒で赦されたようですが、先祖は不当な罪の償いをしたのです。(Zehn・・・die Zehn Gebote)

十六日。

2014-08-16 06:41:56 | 日常
 わたしの住む地域の公共施設利用はネットで申し込み、ネットの抽選で決定が下される。
 以前は直接公民館などに出向き、申し込む。仮に他のサークルと重なった時にはじゃんけんで決めるという方式だったけれど、現在ではコンピューター・システムにより、毎月十六日に結果が発表されることになっている。

 だから・・・。
 だから、十六日は夜眠っていてもふと気がかりになり目が冴え冴えとしてしまう。
「早朝五時にパソコンに出るそうよ」と聞いてから、起き抜けにパソコンを開くという状態。でも、今朝は(今朝も)OK。(ほっ)
「落選の場合どうするのか」とメンバーに尋ねたら「月イチの集まりだもの、空いていればどこでも入れて」という返事。

 落選なら落選でその月は中止ということであれば、こんなにドキドキはしない。十時に空き状態が判明するからいち早く教室を押さえなければならない、鈍間のわたしにはそれがちょっと・・・。

 というわけで毎月十六日は注射を待つ患者のような個人的な動悸に襲われるのである。
 ごく何でもないこと、こんな程度のことで神経がざわざわ波打つ滑稽・・・つくづく自分が小さな人間だと可笑しくなる。


 バス停で隣り合わせた老婦人はポツリと言った。
「今日は十六日ですから、息子が来ます」
「嬉しいですね」と、わたし。
「いいえ・・・わたしの年金を受け取りに来るんです。一緒に暮らそうなんて言っていますが、恐くてとても肯けません」
 老婦人は淋しげに笑った。


 毎月、必ず決まってやってくる十六日。
 それぞれの思いで、その日を迎える。

『ポラーノの広場』424。

2014-08-16 06:30:02 | 宮沢賢治
「はい、お蔭で昨晩戻って参りました。これは報告でございます。集めた標本類は整理いたしましてから目録をつくって後ほど持って参ります。」


☆隠れている朔(月と太陽が同一方向にある状態/月は一日中見ることが出来ない)は、輓(人の死を悼む)。
 霊(死者の魂)は太陽に抱かれ哭(大声で泣き悲しむ)。
 終(生命のおわり、死)の評(善悪の可否、価値などを公平に裁く)を、奔(思うままにし)累(重ね加え)正すという理(宇宙の根本原理、物事の筋道)を黙って録(記す)。
 語(ことば)や字を散(ばらばらにする)。

『城』1711。

2014-08-16 06:17:21 | カフカ覚書
「まあ、そういうことになりますね」と、Kは答えたが、フリーダがあいだにはいったおかげで、手のつけようもない教師の怒りがやわらいだ事実を見のがさなかった。


☆「だから」と、Kは言い、フリーダ(平和)があいだに割って入ったおかげで拘留の怒りを抑えられたことに気づいた。

ちょこっと読書。(村上春樹作品)

2014-08-15 06:31:53 | 現代小説
 村上春樹作品集のなかの初期の短編を読んでみた。
『貧乏な叔母さんの話』貧乏という言葉に反応したのだろうか、貧乏なオバさんであるわたしがちょこっとページを括って悪いわけがあるだろうか・・・という気分で読み進めると、何だか眠っていたある種の感覚が烈しく作動し始めるのに、むしろ自分の方が付いていけない気持ちになった。

 この作家は何が言いたかったのだろう。何ものでもない何かをあたかも見えるように言葉という道具で創る、否、もてあそんでいる。七月の王国、光の微塵という幻想から秋の終わりの季節までのほんの短い時間、僕の背中に貼り憑いていた貧乏な叔母さんという存在の不確かさを描写している。そしてもし一万年後に彼女たち(幻想)だけの社会が出現したとすればとありえないほど遠くの未来(長い時間)を空想し、そこに僕という存在が幾つもの冬を越えて生き続けるかのような錯誤した時空の物語である。

 ありえない話ではなく、ありうる現実を描いて錯綜した異空間を垣間見せる。読者はその魔術に惹きこまれていく。本を閉じれば現実は直接的に迫ってくるが、本の中の奇妙な時空に未練を残してしまう。

(あれは何だったのか)

 僕の眼からは貧乏な叔母さんは見えない。しかし、明らかに感じているし、周囲の眼差しもそれ(貧乏な叔母さん)に反応している。「あなたの背中にはっきりと見える」とまで言わしめ、その存在を読者の知覚に刻んでいく。概念的な記号に過ぎないかもしれない貧乏な叔母さんという存在、この嘘から出た真のような二重構造は移ろいの時と共に薄らぎ、僕の中に沈黙という形で一体化してしまう。
 そうした日を重ねているうち電車の中で出会った母子たち(現実)にその幻想は吸い取られ、あるいは重なって正体を失っていったのだろうか、僕の背中から貧乏な叔母さんは消えてしまったということに気づく(あくまで気づくのであって、質量を持ったおばさんが消えたわけではない)。そのことを告げるべく連れである彼女に電話をするが当然ながら僕と彼女の想念には大きなズレがあり埋められるべくもなく、酷い空腹(空漠)に襲われてしまう。
 無限に続く限りないほどの空虚・・・。

 そもそも貧乏な叔母さんとは何だったのか。

 貧乏は貧しいということではなく存在は薄いが確実に存在している、意識しなければ永遠にその存在に気づかないような何かを・・・。わたし達は得体の知れないものに寄り添われながらある日その消失にも気づかずに何事もなかったように世界の中の雑踏に息をしているのかもしれない。


 重層的なトリック、奇妙な時空の切り方は実験的な現象のようにも感じる。言葉の飛躍は軽々とミステリアスな光彩を放ち、世界の中に沈み込んでいく。静かなる谷底であり、透明無限な天空の高さに挑戦しているような浮遊、そんな読後感。

『ポラーノの広場』423。

2014-08-15 06:25:01 | 宮沢賢治
「あ帰ったかね。どうだった。」所長は左手ではづれたカラーのぼたんをはめながら云ひました。

 帰ったはキと読んで、記。
 所長はショ・チョウと読んで、諸、重。
 左手はサ・シュと読んで、査、趣。
 云ひましたはウンと読んで、運。

☆記すことの諸(もろもろ)は、重ねて査(しらべる)趣(考え)だと運/めぐらせている。