JR神戸線住吉駅近くに本住吉神社がある。
境内は国道2号線に面している。
神社を正面に見て右手に元灘生活共同組合、
スーパー現「シーア」の建物があり、その前をJR線が
走っているのが見える。
境内には新緑真っ盛りの楠木の大木が2本
聳えている。神殿うしろはるかに六甲山が見える。
神社手前東側の壁からはみ出した
大木は、むくの木で、神戸市が「市民の木」として
昭和49(1974)年指定している。
本住吉神社の御祭神は、第1 底筒男命(そこつつみこと)
第2 中筒男命(なかつつみこと)、 第3 表筒男命(うわつつみこと)
3神を住吉大神と呼ぶ。
5月5日の夏祭りが近くなり山車の笛太鼓の
お囃子の稽古の音が威勢良く聞こえている。
祭りの日を挟んで前後計3日間、山車が街中をにぎやかに
練り歩く。
本住吉神社は、1,200年の歴史があるという。
なぜ本住吉神社という名にこだわるのかと、西宮神社の
前権宮司の吉井貞俊さんにお尋ねしたことがある。
氏によれば、もともと住吉神社は西国から順番に東へ
出来たので、その意味からは大阪の住吉大社より
西だから正しいかもしれないと話しておられた。
おおらかなものである。
昭和2年(1927年)に出来た国道2号線は、西国街道と
つかず離れず本住吉神社の東400メートルと西150メートル
のところを通っていたと記録にある。
西国街道(本街道)は、京都の東寺口から出発し、芦屋打出付近で
浜街道とわかれ、神戸三の宮の生田神社の南で本街道につながっていた
と記録にある。
西国街道は、西国大名の参勤交代の時などに使われた。
住吉は道中の昼休みの宿で、神社の前には大名の休む
本陣があり、休み茶屋も西国街道両側に沢山あったそうだ。
秀吉が高松城水攻めのあと住吉神社境内で休みを
とったという記録も残っている。
4月29日は、昭和天皇の誕生日、「緑の日」で休日。
人通りもすくなく静かな朝の風景をスケッチした。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
境内は国道2号線に面している。
神社を正面に見て右手に元灘生活共同組合、
スーパー現「シーア」の建物があり、その前をJR線が
走っているのが見える。
境内には新緑真っ盛りの楠木の大木が2本
聳えている。神殿うしろはるかに六甲山が見える。
神社手前東側の壁からはみ出した
大木は、むくの木で、神戸市が「市民の木」として
昭和49(1974)年指定している。
本住吉神社の御祭神は、第1 底筒男命(そこつつみこと)
第2 中筒男命(なかつつみこと)、 第3 表筒男命(うわつつみこと)
3神を住吉大神と呼ぶ。
5月5日の夏祭りが近くなり山車の笛太鼓の
お囃子の稽古の音が威勢良く聞こえている。
祭りの日を挟んで前後計3日間、山車が街中をにぎやかに
練り歩く。
本住吉神社は、1,200年の歴史があるという。
なぜ本住吉神社という名にこだわるのかと、西宮神社の
前権宮司の吉井貞俊さんにお尋ねしたことがある。
氏によれば、もともと住吉神社は西国から順番に東へ
出来たので、その意味からは大阪の住吉大社より
西だから正しいかもしれないと話しておられた。
おおらかなものである。
昭和2年(1927年)に出来た国道2号線は、西国街道と
つかず離れず本住吉神社の東400メートルと西150メートル
のところを通っていたと記録にある。
西国街道(本街道)は、京都の東寺口から出発し、芦屋打出付近で
浜街道とわかれ、神戸三の宮の生田神社の南で本街道につながっていた
と記録にある。
西国街道は、西国大名の参勤交代の時などに使われた。
住吉は道中の昼休みの宿で、神社の前には大名の休む
本陣があり、休み茶屋も西国街道両側に沢山あったそうだ。
秀吉が高松城水攻めのあと住吉神社境内で休みを
とったという記録も残っている。
4月29日は、昭和天皇の誕生日、「緑の日」で休日。
人通りもすくなく静かな朝の風景をスケッチした。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)