「高松塚」からの出発:中之島リサイタルホール
江嵜企画代表・Ken
大阪中之島にあるリサイタルホールで5月31日、シンポジウム「『高松塚』からの出発」奈良県明日香村、朝日新聞主催)が午後1時から開かれるというので楽しみにして出かけた。
約400人が参加した。はじめに「文化の国へ」と題して、青柳正規氏(国立西洋美術館館長)による、特別講演が1時間あった。文化とはなにか、文化財とはなにか、時代の変遷、それぞれの国ごとに、文化に対する考え方も大いに違うなど、興味深い話を聞くことが出来た。
休憩を挟んで、午後5時までの、パネル討論がまたすばらしかった。とても書ききれない。青柳氏も入って、松村恵司氏(奈良県文化財研究所都域発掘調査部長)、徐光輝氏(龍谷大学教授)、佐古和枝氏(関西外国語大学教授〉、芳賀満氏(京都造形芸術大学教授)のパネリスト5人とコーディネーター、天野幸弘氏〈朝日新聞記者)によって、活発な討論があった。
パネル討論のときの様子をスケッチした。
高松塚古墳は、昭和47年〈1972〉3月、奈良県明日香村で発掘調査が始まった。極彩色の壁画で、男子女子群像や天文図、四神図などもあり、当時、「世紀の大発見」として騒がれた。
ところが、最近になって、壁画にカビが生えるなどして劣化が進んでいることがだんだんわかってきた。「本来、お墓なのだから、そのまま元に戻すべきだ」とか、「壁画を元に戻すと劣化がさらに進む。戻すべきでない」、いや、「しっかりと修理した後、壁画を元に戻すべきだ」とか、様々な意見が出ていたようだ。
特に文化庁に対して、広く情報を公開すべきではないかとの声が、マスコミなどを通じて高まり、今回、明日香村で、31日から、人数を制限、作業場に限定して、一般公開の運びになったという。
1972年という年は、ニクソン訪中、沖縄返還、田中角栄「日本列島改造論」、日中国交正常化、米軍北爆再開など歴史的事件が起こった年でもあるとパネリストのひとり芳賀氏が紹介された。改めて、1972年という年を噛みしめた次第である。
特別講演の中で、青柳氏は、「文化財は時代によって認識も変わる。明治の廃仏毀釈では、興福寺の五重塔が25円で売りに出された」というエピソードも紹介された。
壁画としては、日本では、高松塚古墳とキトラ古墳の2つしか発見されていないと討議の過程で聞いた。「キトラ古墳は保存状態がいい」とパネリストの佐古氏が紹介していた。
佐古氏は、個人的意見と前置きして、「キトラ古墳は地元住民はじめ行政が中心になってきめ細かく面倒をみている。高松塚古墳は、東京に本拠を置く文化庁が中心だ。高松塚も地元に任せるべきではないか」と提案された。
文化庁については、その隠蔽体質について、ご自身の体験をとおして、パネリストの松村氏が指摘した。文化庁がなぜ高松塚古墳の中身を隠すのかについては、今回の討論の中では十分な説明がなかった。隠さなければならない、何かがあるに違いないと、密かに想像している次第である。
中国生まれの徐氏は、中国の紀元前5世紀の古墳発掘にも参加し、多数の壁画保存作業にも直接関与しておられる。「壁画の彩色は2~3年で色あせるものだ。」と言われた氏のことばが、印象に残った。
青柳氏は、「人間ほど汚い生き物はいない。人間は雑菌の塊だ。修理が始まるとカビが増える。修理が止まるとカビが減る。文化財保存にあたっては、国民の理解が必要だ。」と話された。
青柳氏は、「外国では、修理の『町医者』が多い。日本には立派な研究家は沢山いる。『町医者』はいない。」という話もされた。さもありなんと、妙に感心した。
この日のシンポジウムの詳細は、朝日新聞の6月8日付けの朝刊に特集面で紹介されるそうだ。朝日新聞がシンポジウムの中身をどのような形でまとめられるのか。個人的には、大いに興味がある。(了)