ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

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たけだけい子「歌のコンサート」風景(スケッチ&コメント)

2016-12-27 23:31:17 | スケッチ


たけだけい子「歌のコンサート」風景

江嵜企画代表・Ken


2月25日(日)午後2時からJR京都駅近くにあるメルパルクKYOTOで開かれたたけだけい子『歌のコンサート』にお招きいただき楽しみにして出かけた。その日はたまたま今年最後の猪熊佳子日本画教室が大阪日本橋で午前10時半からあり、猪熊先生にご了解いただきハシゴした。時間まで2人の孫用の干支の色紙を猪熊先生のご指導で仕上げることが出来幸いだった。色紙は本日、孫家族との昼食会で贈呈、ニワトリさんが両家族の来年1年を護ってくれることを期待した。

猪熊佳子先生は12月20日(火)に「めぐる季節に想いをよせて『猪熊佳子日本画展』を終えられたばかリである。「100号の大作、3作を含め30数作が会場に展示されており、最終日だったが、ほとんど売約済みだった。歌舞伎2月号の表紙を描かれる。来春、歌舞伎座へ行く予定なので、二冊買って一冊送ります。親しくしく猪熊先生とお話しもでき感動しました」と知人のM様からお便りを昨日いただいた。歌舞伎表紙絵で猪熊佳子ファンがまた増える予感がする。

前置きが長くなった。会場に開演20分前に着いた。ほぼ満席だったがぽつり真ん中あたりに席が残っており、会場の様子をスケッチした。大部分がお年を召したご婦人である。当欄でも何度もたけだけい子コンサートの様子は登場している。特に毎回ひとひねり、ふたひねりしてリピーターを飽かせぬ工夫を凝らしておられることがビンビン伝わる。

たけだけい子「歌のコンサート」は1995年に始まった。今ではライフワークとなり、声の続くところまで続けてゆきたいと用意されたパンフレットにしたためられていた。プロの声楽家にご無礼だが第一声は正直声が抜けていなかったのでハッとした。しかし、さすが態勢を立て直し、曲を追うごとに艶も出て、ハイライトのConre ngarato(つれない心)「カタリカタリ」(サルバトーレ、カルディッロ作曲)、Non ti scordar di me(わすれなぐさ)〈エルネスト デ クルティス作曲〉の絶唱は圧巻だった。

音楽会だから音楽を楽しむのがすじだ。ところがたけだけい子さんは音楽会という場を活用して好きなことをすることは愛することだということをなんとしても後輩というか、次の世代に言い伝え、残そうとしている方だと毎年の演奏会でお話を聞くたびに強く思うようになった。

今回の企画ではミニ対談「人はなぜ好きになるのか?」と題して、10年ぶりに会う井澤真奈美さんとたけだけい子さんとのやり取りは身近な話題が多く、会場の多くのファンが聞き入った。たけだけい子さんは生まれた直後からレコードが流れはじめたとたん泣き止んだ。音楽のために生まれて来たような子供だった。3歳の時ピアノを始めた.声楽を始めたのは12歳。モットーは音楽を楽しむこと。「楽しい!面白い!」と、思うこと。「音楽が好き!」と感じることである。たとえ音符が読めなくても「みんなで楽しく歌いましょう」と呼びかけていますとたけだけい子さんは力を込めた。

対談の相手の井澤真奈美さんは現在、加古川市立の小学校の現役の先生である。「今の子供はおけいこごとが多く忙しいのです」と口火を切った。「同じ楽器でも昔ならピアノだった。今は様々な種類の楽器のお稽古に通う子供が増えた」と話した。井澤先生は「子供の世界だけではないのです。音楽を通して会える、様々な人間関係の中で自分が愛されるということでパワーが湧いてくるのです」と話した。

25日は都大路を男女の駅伝が駆け抜けた。女子では地元兵庫西脇工業に期待したが実力に勝る大阪世羅に敗れた。今年も早いもので1週間を切った。年齢と共に一年経つのが年々早く感じるようになった。終わりに会場全員で「故郷」を歌って元気をもらった。(了)

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愛読者各位様 (学校で教えてくれない経済学)

2016-12-27 08:38:21 | 経済学
週明けNY市場は、クリスマス振替休日のため休場、本日の「経済学」お休みさせていただきます、愛読者各位様

江嵜健一郎

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