さて、コピーながらお気に入りの服のすそを気にしつつ出社した浩美であったが、オフィスの入り口でいきなり陽子と孝志が話をしているのを見てガッカリしてしまった。孝志はこちらを見てギョッとしたような表情をしたが、陽子と話していたのを見られたからなのか、自分の買ってやった服を、もうしばらく付き合っていない浩美が着ていたからなのか、はよくわからなかった。あるいは、理由はその両方だったのかもしれない。
その日は最悪の日となった。仕事上のパソコン画面と慣れない視界とが重なったせいもあるし、朝のことが頭から離れず、仕事にも集中できなかったのだ。おかげでミスは重ねるわ、フラッシュメモリーはどこかへ置き忘れるわ、おまけに発注元からはさんざん文句言われるし。
やり直しまたやり直しで遅くなり、駅のホームでぼんやりしながらも孝志と陽子のことを考えていた。二人は付き合っているのだろうか、孝志は甘い言葉をささやき、服など買ってあげているのだろうか。悔しいが、どう見ても自分と孝志より、陽子と孝志の方がお似合いだった。
ふと目を上げると、向こうのホームからこちらを見ている中年男と目が合った。少し禿げ上がって小太りの、イヤらしさを感じさせるオヤジだった。うわヤダッ、と思った。そのオヤジの顔には白い矢印が。思わず右クリックをし、〈削除〉を。イヤらしいオヤジは、跡形もなく消えた…。
次の日の昼休み、またもや話し込んでいた孝志と陽子。孝志がちょっと目をそらしたスキに、陽子を〈移動〉させてやった。二人とも何が起きたのか理解できないようだったが、陽子はすぐに孝志の所へ戻ってきて、「なに今の?」とか言いながらキャーキャーやっている。もうアッタマに来る。
こうなったら陽子を〈削除〉するしかない。ある日の終業後、ひと気がなくなったところで、廊下を歩いていた陽子を〈デリート〉。誰にも気付かれることなく、陽子は行方不明となってしまった。これでまた孝志は、私の方を向いてくれるだろう…。
しかし浩美の思惑通りにはならなかった。孝志は浩美を振り向いてくれるどころか、だんだん避けるようにさえなった。陽子の失踪に浩美が関係していることに、うすうす勘付いているようでもあった。視線を向けてくれる回数が少なくなり、たまに向けたとしても、以前よりもそれが冷たくなっていくのを、浩美はツラい思いで感じ取っていた。
やがて、孝志も〈デリート〉。つまんですぐそばに〈移動〉させることは簡単だ。でも、もはやこちらを振り向いてくれないのなら仕方がない。あんなに好きだったのにね…。しかしそのあと、もっとツラくなってしまった。好きな人がこの世から〈削除〉されてしまったこと、それをやったのが自分であることに、ほとんど絶望的な気分になっていった。
マンションの洗面所で、浩美は思い切り泣いた。顔を上げ、鏡を見る。涙と鼻水でグチャグチャになった自分の顔に、白い矢印が。右クリックをして〈削除〉を…。
―――・―――・―――
ところで、削除したファイルは一時「ごみ箱」に入れられるだけで、〈元に戻す〉とやれば元通りになるはずですが、浩美自身が削除されてしまった今、それを確認することはもはや不可能となってしまいました。
Copyright(c) shinob_2005
その日は最悪の日となった。仕事上のパソコン画面と慣れない視界とが重なったせいもあるし、朝のことが頭から離れず、仕事にも集中できなかったのだ。おかげでミスは重ねるわ、フラッシュメモリーはどこかへ置き忘れるわ、おまけに発注元からはさんざん文句言われるし。
やり直しまたやり直しで遅くなり、駅のホームでぼんやりしながらも孝志と陽子のことを考えていた。二人は付き合っているのだろうか、孝志は甘い言葉をささやき、服など買ってあげているのだろうか。悔しいが、どう見ても自分と孝志より、陽子と孝志の方がお似合いだった。
ふと目を上げると、向こうのホームからこちらを見ている中年男と目が合った。少し禿げ上がって小太りの、イヤらしさを感じさせるオヤジだった。うわヤダッ、と思った。そのオヤジの顔には白い矢印が。思わず右クリックをし、〈削除〉を。イヤらしいオヤジは、跡形もなく消えた…。
次の日の昼休み、またもや話し込んでいた孝志と陽子。孝志がちょっと目をそらしたスキに、陽子を〈移動〉させてやった。二人とも何が起きたのか理解できないようだったが、陽子はすぐに孝志の所へ戻ってきて、「なに今の?」とか言いながらキャーキャーやっている。もうアッタマに来る。
こうなったら陽子を〈削除〉するしかない。ある日の終業後、ひと気がなくなったところで、廊下を歩いていた陽子を〈デリート〉。誰にも気付かれることなく、陽子は行方不明となってしまった。これでまた孝志は、私の方を向いてくれるだろう…。
しかし浩美の思惑通りにはならなかった。孝志は浩美を振り向いてくれるどころか、だんだん避けるようにさえなった。陽子の失踪に浩美が関係していることに、うすうす勘付いているようでもあった。視線を向けてくれる回数が少なくなり、たまに向けたとしても、以前よりもそれが冷たくなっていくのを、浩美はツラい思いで感じ取っていた。
やがて、孝志も〈デリート〉。つまんですぐそばに〈移動〉させることは簡単だ。でも、もはやこちらを振り向いてくれないのなら仕方がない。あんなに好きだったのにね…。しかしそのあと、もっとツラくなってしまった。好きな人がこの世から〈削除〉されてしまったこと、それをやったのが自分であることに、ほとんど絶望的な気分になっていった。
マンションの洗面所で、浩美は思い切り泣いた。顔を上げ、鏡を見る。涙と鼻水でグチャグチャになった自分の顔に、白い矢印が。右クリックをして〈削除〉を…。
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ところで、削除したファイルは一時「ごみ箱」に入れられるだけで、〈元に戻す〉とやれば元通りになるはずですが、浩美自身が削除されてしまった今、それを確認することはもはや不可能となってしまいました。
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