昔から、歴史というのが嫌いだった。年号を覚えるのも面倒だし、顔も知らない人たちが何をしようが、そんなことどうでもいいと思っていた。だいたい、思い付きやら感情やら打算で動いている歴史に、自然科学のような普遍的なものなどないと思っていた。
年をとったというのか、最近、どうもそうでもないような気がしている。個々の動きは、何ていうのか〈デタラメ〉ではあっても、長い長い歴史というものを見たら、そこには普遍的なものがあるのではないか、と。
もちろん脚色はあろうが、大河ドラマなんかを見ていると、「あいつには負けたくない」だの「こいつらを支配したい」だのいう人間の思惑っていうのは、時代が変わってもそう変わらないような気がする。当たり前と言えば当たり前なんだけど。
有史以来、この地球上に何人の人間が生きたかは知らない(数百億人くらいか)。それこそ歴史に名を残した人はもちろん、生きた人すべてが、人間関係やら金銭問題やら、何かしらの問題を抱え、苦しみ、解決してきたに違いない。記録には残っていないにせよ、同じような問題は、誰かも抱えていたはず。現時点ではたった1人であっても、過去を遡れば、きっと誰かいるはず。
だから、誰かに聞いてみよう、何か本でも調べてみよう。今なら、インターネットで世界中の情報を得ることもできる。情報が多すぎる、あるいは怪しげな情報も多い、という負の側面もあるが、Googleなど検索エンジンの進歩で、必要な情報の入手も簡単になってきてるし、英語のウェブページだって、BETA版ながら、日本語で読むこともできる。便利な世の中になったもんだ。
誰か同じような人がきっといる、独りなんじゃない、と。そうすれば、自ら命を絶つ必要もなくなる。もちろん、落ち込むとそれどころではなくなるのもよく分かるのだが。
あるいは、司馬遷や鑑真など、自分よりもっとヒドい目に遭った人のこともわかるかも。
あと、過去の自分と向き合うのもいいかも。それから、これはちょっと突拍子もないことなのだが、〈未来の自分からの声〉を聞くという手も。
ところで、たまたまなのかもしれないけど、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝たなかったら、太平洋戦争で日本が負けていなかったら、僕らはこの世に存在していないことになる(それとも、他の人間として生きていたか?)。
…また話が小難しくなってしまいました。