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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

それぞれの役割

2008-07-06 10:28:55 | こころ
 
 特別ファンということでもないし、持ち歌も『時間よ止まれ』くらいしか知らないのだが、きょうは矢沢永吉の話から始めよう。

 朝日新聞求人欄の〈仕事力〉というコーナーで、4回にわたって永ちゃんの談話「信じろよ、自分を」が取り上げられていた(ひょっとしたら写真くらい目にした人もいるかもしれない)。その中の3回目(6月22日付け)で、10年ほど前、オーストラリアでの事業で現地を任せていた2人に裏切られ、30億もの借金を負ったというのがあった。(テレビやビールのCMからは想像できない、というか、そんなの全然知らなかった)
 どうしようもなくなったその時、永ちゃんは「この人生、俺はたまたま成り上がったあと大きな借金を背負う〈矢沢永吉〉という役になっただけなんだ」と考えるようにしたんだそうだ。そしてライブをやりまくって、借金すべて返すことができたそうだ。

 ある意味の開き直りであるが、たまたま矢沢だった、と考えるところが面白い。
 そう、何回何十回生まれ変わるのか、それとも1回こっきりなのかはともかく、僕もあなたも、たまたま〈僕:何の何某〉、〈あなた:何の何某〉であるに過ぎない。ひょっとしたら、それは別の人の人生であったかもしれないけれど、僕の人生は僕の人生だし、あなたの人生はあなたの人生。
 世界的な大スターであったかもしれないし、町の顔役であったかもしれないし、はたまた小さなお店のお手伝いであったかもしれない。それが幸せなものであるにせよ、そうでないにせよ、それを引き受けて生きるしかない。他人の人生を引き受けることは、親子であれ、不可能なこと。そして60億人いれば、60億通りの人生がある。

 その中には、不幸(?)な身の上から、何人もの人間を殺傷してしまう人生や、重い病で寝たきりの生活を余儀なくされる人生もあるだろう。
 それはそれで、ツラいかもしれないけど自分で引き受けるしかない。自分では決めきれない面はもちろんあるけれども、自分で決めることができる面がかなりあるのも事実。確か斎藤一人さんも、「あなたの人生は、あなたにふさわしいよう、お釈迦様が決めてくれたもの」というようなことを言っている。
 すべての人がスターになれるわけはないし、すべての人が社長になれるわけではない。それぞれの人が、それぞれの人生において、それぞれの役割を果たすしかないのだろうと思う。

 かくいう僕は、今は普通の会社員としてそこそこに過ごしているんだけれど、学生時代、あるいは社会人になってから、「もう終わりだ」と追い詰められたことも、一度や二度ならず。まあその辺のことについては、またいつの日かお話したいと。

 なお、永ちゃんのこの談話は、ネットでも少し読めます。
 

 〔写真は「矢沢永吉公式サイト」より〕

コメント
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