大分の教員採用試験の不正がニュースになっていて、テレビのキャスターたちは、口々に「けしからん」と。
このせいで不採用になった人には、お気の毒としか言いようがない。ただ、試験資料などはすでに廃棄されていて、誰が本来受かっていたのか、特定は難しいようだ。それもまた、残念なこと。
とは言え、こういったものってえのは昔からあったことだし、これからもそうそうなくなることはないだろうと思う。もちろん不正はないに越したことはないのだが、県議や教育委員会などの権力構造というものがある限り、なくなることはないだろう。
大学入試にしろ就職試験にしろ、議員が「口利き」をするというのは、ある意味当たり前なのかもしれない。権力者がいて、それを頼りにする庶民がいて、というのは、江戸時代の〈お代官さま〉の頃から変わっていないのだろう、と。
そしてこういうのは、教員採用試験に留まらない。
たとえばスポーツであれば、「あのPKが決まっていたら」「あの誤審さえなければ」というのはあるだろうし、恋愛や出世だって「あの時電車が遅れなければ」「あいつさえいなかったら」というのもあるだろう。さらに大きいところでは「あの地震がなければ」とか「あの戦争がなければ」とかいうことにもなるのだろう。〈たられば〉というのは、どこにでもある話。
そういう不慮の事態といった、ブレの積み重ねというのが、この世の中なのだろう思う。教員採用試験に受かって、充実した教員生活を送れるかもしれないし、モンスターペアレントなんかに捕まって大変な目に遭うのかもしれない。ひょっとしたら、受からなかったことで、思いもよらぬチャンスにめぐり合うことだってあるのかもしれない。
つまりは、不正だの事故だのってのは、この世の中付き物だってこと。うまく行かなかったおかげで、その後うまく行く場合だって、多々あること。
もしも、ということを考え出すとキリがない。正しいかそうでないかはともかく、起きたことは起きたこと、と認めるところから出発しないと始まらない。
…とまあ、キャスターではないので、勝手なことが言えるわけですが。
ところで、先日「もしも時間が止まったら」という小文を載せたところ、同じタイトルのエッチビデオがあるらしく、その方面のサイトに混じって僕のサイトが検索で引っかかっているようです。いやらしい中にクソまじめなのがポンと出てきて、すごく違和感あるだろうなあ。
ついでながら、発表したショートショート(例えば『メシア再臨』)、題名そのまま検索すると上位に出てくるようです。一時的なものかもしれませんが、ありがたいこってす。
〔写真は、時事ドットコムより〕