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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

福島へ

2011-05-08 09:21:40 | 
 
 年に何回か、フーテンの寅さんよろしく、ふらりと旅に出ることにしている。ラフな格好でヒゲぼうぼう、髪の毛ぼさぼさで(おっとこれはいつものこと)。
 どうせ行くなら、と今回のGWは福島方面へ。とは言ってもボランティアではなく、単なる温泉巡り。キャンセルが相次いでいるようだし、「温泉旅行で関東・東北地方を応援しよう」というキャンペーンに乗せられて、2泊3日で行ってきた。
 義捐金の配分がなかなか進んでいないということ、それに風評なんか蹴飛ばしてやれという気持ちもあって。

 JRの在来線を乗り継ぎ、まずは栃木の塩沢温泉へ。
 正確に言うと「塩の湯温泉」なのだが、バス停から10分ほど山道を歩いた「明賀屋本館」という所に泊まる。元々は湯治場だったという、300年の歴史がある旅館だが、川のすぐほとりにある露天風呂が風情あって良かった。夕食に出た「ヤマメの朴葉みそ」は絶品だったし、静かな夜を過ごさせてもらった。

 そして福島の飯坂温泉。
 栃木あたりから目に付くようになってきた家々の屋根のブルーシートが、福島県に入るとさらに目立ってきた。それだけ揺れが強かったということらしい。電車の中で隣り合ったおじさんも「えらい出費だ」と言っていた。瓦はやはり品不足らしく、何ヶ月も待たないと入手できないそう。工場に勤めているというおじさんも震災直後は1週間の自宅待機となったそうだ。ただ「あちらに比べれば、大したことはないが」とも。(あちらとはもちろん、原発近くや海岸線のこと)
 飯坂温泉はラヂウム玉子やら足湯やらある典型的な温泉街で、のんびりと歩き回ったのでした。

 街中でも街外れでも、見た目は特にどうということなし。普通に車や人は通っていたし、特産の桃の花はきれいに咲き、田植えの準備も普通に行なわれていた。
 余震だの放射能だの、一体どこの話って感じだったし、電車のボックス席で前に座っていた女の子2人の会話は、どこにでもある他愛のないものだった。
 しかし帰る日の3日目早朝、飯坂温泉の旅館で朝湯に入ろうと風呂場に向かおうとしたら、ロビーのソファで寝ている人がいた。空き部屋はあったし、変だなと思って聞くと、どうも避難者らしい。(他の旅館でも同様なのかも知れないが、宿の人も答えづらそうだった)

 それから、あちこちに「がんばろう、東北」とか「ふくしまは負けない!!」というノボリやらポスターがあちこちで見受けられました。
 まあ表向きは何てことない風景ですが、見えないところでは、いろいろと影響はあるのだろうと感じられました。でもそれは、よそ者は見てはいけないような気もします。

 宿のおばちゃんともいろいろ話をしたところ、朝早くに出掛けて夜遅くに戻ってくる応援勤務の人もいるし、僕みたいに応援がてら泊まっていく人も結構いるらしい。また駅では、シャベルを持ったボランティアも見かけた
 宿代や土産代(赤べこに白河夜舟に巻せんべい等)でかなり使ってしまったが、何かの足しになってくれれば、と思っているところ。微々たるものだろうけど。
 そうそう、帰りの電車より外を眺めていて、静岡に入ってからも屋根のブルーシートを捜している自分に気が付いた次第。

 あそれと、テレビも新聞もケータイも無縁の3日間だったので、ビンラディン氏が殺害されたことなど、帰ってくるまでちっとも知らなかったのでした。

〔冒頭の写真は、飯坂温泉の風景〕

コメント
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