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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

地球の支配者・植物

2011-10-02 10:17:10 | 科学/考察
 
 前回、木の枝を燃やすとごくわずかな灰しか残らないということを書いた。骨が残る動物に比べて植物の方がスカスカのようだけど、実はその個体量というか絶対量は、この地球上で動物や人間様に比べて圧倒的に多い。
 地球を支配している生物というと、あらゆる環境に適応していて100万以上もの種類がある昆虫という説もあるが、ずいぶんと植物の世話になっているのだし、種や花粉を運ばされている、つまり植物にしてやられているとも言える。

 動物のような視覚や聴覚はないけれど、植物にはまったく別の感覚器官というのがあるのかもしれない。僕ら人間のやることなすことを、その圧倒的な数で以って静かに“見ている”のかもしれない。
 そしてもちろんヘソもないけれど、何かの拍子でヘソ曲げられたりして、酸素を供給しないなんてことになったら、地球上の昆虫/動物は死滅してしまう。
 誰も見ていなくても、自分自身はもちろん、そばにある街路樹なんかも見ているのかも。

 話変わるけど、葉っぱが緑である理由についての考察をもう6年以上前にこの場に書いたところ、未だに検索で上位に並んでいるようだ。(密かに喜んでいるところ)
 空は青いし夕焼けは赤いし、それらの色を利用することにしたため、残りの緑色は使わないことになった、というのが僕の理解だったのだが、思わぬところから、ほとんど正解を教えてもらった。日野原重明さんと多湖輝さんによる『長生きすりゃいいってもんじゃない』(幻冬舎)という本。
 その172ページに稲本正さんという人の言葉として「木の葉は、自分だけが生き残れば良い思っている訳ではないんだ。だから太陽光の一番強いところ(緑はエネルギーが最も強い)は反射して、動物たちにもこのエネルギーを分け与え、地上の温度もあまり低くならないようにしているのだ」とあり、ようやく腑に落ちた次第。

 ところで、西洋の考え方というのは、どちらかと言うと食うか食われるかで動物的である。一方、東洋は自然や他者と調和するといった感じで植物的である。ビジネスにしろ何にしろ世の中だんだんと世知辛くなってくるけれども、これからは植物的な生き方ってのがいいような気もしている。

〔写真はカラスウリ〕

コメント
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