仕事上、法令や規則に従っているかどうか、いわゆるコンプライアンスには気を付けているところ。セクハラやパワハラに加え、最近はJ-SOXなんてものが出てきてまた面倒。
ただどんな規則であっても、細かいところになると解釈は分かれるもの。また、そもそも規則/法律を作ること自体、どうするかは一から考えなくてはならない。だから難しいのだし(議員や官僚は大変)意見も分かれるし、誰かが「こうだ!」と決めないと物事は前に進まない(当たり前だけど)。
とある責任者になっている立場上、僕も「どっちか決めてよ」と言われることが多い。一方に決めたら決めたでもう一方を支持する人たちから文句言われるし、その都度頭を悩ませている。で、よく思うのは「おそらく正解はない」ということ。
決め兼ねるのは結局、どちらにも一長一短あるってこと。いずれも正しいとも言えるし、どちらも間違っているとも言える(ウマい第3の方法が見つかれば別だが)。
難しい事案ほど、何かあった場合のため、みな尻込みをする。
当局や顧客のことばかり考慮していたら自分とこは大変だし、手間やらコストやら、逆に会社のことばかり考えていてもダメ。
領土やら補償やら税率やら、世の中決めきれないことはたくさんあれど、誰かが決断しなければならない。
郵政改革にしろ規制緩和にしろ、小泉さんが半ば強引に進めたけれど、あれはあれで「前に進める」ためには必要だったこと。
規制緩和と言えば「民間で出来ることは民間に」という謳い文句で、それはそれで結構なことではあったけれど、その後のタクシーやバスの過当競争なんか見ると、連合赤軍ではないがある時点で〈総括〉は必要かもしれない。
反対派にメゲず、何かやろうとする時は誰かが「鶴の一声」を発しないといけない。でないと何も進まない。法律やお上が決めるのもある程度の枠の中だけ。
だから、今の時代に必要な人材というのは、物事を前に進めるために「決断する」人。答えがないので決め切れないわけだから、何らか理由つけて決めちゃえばいい。その際、いろんなルールや周辺状況を知っているとともに、反対派を説得するだけの智恵というか人柄も必要だろう。
ある程度は「嫌われる」必要もある。「いい人」でいたい人はだから、判断する立場にはなれない。「いい人は成功者になれない」なんて言い方も出てくるし、偉くなればなるほどヘラヘラ笑ってもいられなくなる。
話逸れるけれど、お金もったいないという理由で給食費出さない親や、給食時「いただきます」を言うのはおかしいと言う親など、この頃妙なことを主張する輩が多くて情けなくなる。戦後民主主義あるいは「お客様は神様」の弊害だろうとは思うけれども、ある程度の拘束というか強制は必要かもしれない。
そういう意味では大阪の橋下さんは明確に答えを出すし、時流に乗った人物だとは思うけれども、カドがあると言うか危なっかしいと言うか、そういう印象はやはりある。
たとえば原発の再稼動にしろ消費税アップにしろリゾート地の開発にしろ、それをやるやらないを決めるということは、この地球/世の中に何らかの影響を与えることでもある。かけがえのない地球に対し、自分の考えでそんなことしちゃっていいのかな、と遠慮したくなる気持ちは分かるけど、決断しなくてはならない場面ってのはある。それに、この世だけがすべてというわけでもないだろうから。(この世はあの世の“影絵”だという考え方もある)
…ちょっと話がまた拡がってしまいました。
〔写真はEテレ『シャキーン!』の名物コーナーだった「答えはない」〕