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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

秋から冬に思うこと

2015-12-13 10:53:50 | 科学/考察
 いわゆる出世。会社なり組織なりで肩書が付いて偉くなっていくというのは、能力もあって功績挙げたからだし、世の中に貢献もしていることだろうし責任も重いだろうし、それなりの犠牲も払ったであろうからもちろん立派なことである。しかしそれは一面から見た場合であって、その犠牲とされたもの、たとえば家族や友情、環境や健康の面からすれば、とんでもないことなのかもしれない。
 だから高い給料は、その代償であるとも言える。「ごめんなさいね、これで勘弁してね」と。

 誰しも人生はプラスマイナスゼロという考え方もあるし、お金や地位だけあっても、何より大切な当人の〈心の平安〉が保てれていなければ、何にもならないだろう。とある調査によれば、年収700万円以上のあれば、いくら高くなっても幸福感はあまり変わらないとのこと。
 ついでながら、「株式会社○○の会長でござい」といったスーツ姿の人間って、おそらくいい話はするんだろうけれど、どうも馴染めないしウサン臭い。大地震やパニックの時なんか、おろおろして役に立たないのではないか。それよりも、無精ひげ生やして作務衣姿で何か作っている人の方が信頼できるんじゃないかって気がするし〈本物〉の面白い話が聞けるに違いない。実際僕も休日はそんな格好しているし、仕事辞めたらひげ伸ばし放題にしたいと思っている。(ホンモノの話ができるかどうかは…)
 あるいは、苦労して働いているその辺りの魚屋のおっちゃんや床屋のおばちゃんの方が、人間として味わい深いものを持っているんじゃないか。

 …そこそこの会社でそこそこの地位、そこそこの給料にそこそこの自由、そしておそらくそこそこの羨望と尊敬(?)を得ている人間の一人として、しみじみ思う、ところ。

コメント
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