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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

植物のスゴさ~なぜ葉っぱは緑か~

2017-08-27 07:44:49 | 科学/考察
 〈動的平衡〉で有名な福岡伸一さんが、地球の先駆者である植物のノブレス・オブリージュ(高貴な者としての義務)について、こんな主旨のことを新聞に書いていた。(朝日8/17)
「食糧や建材、エネルギー源や酸素の供給元である植物たちの寛容さによって、僕らは生きていられる」
 そこで、なぜ葉っぱが緑なのか、再度考えたい。
 回答として「それは葉緑体があるからです」というのが相変わらずあるようだが、それでは子供の疑問に答えたことにはならない。

 葉っぱでも何でも、緑であることは緑の光を放っているということ。それは受けた太陽光線のうち、緑色を使用せずに放出することを意味する。
 なぜ緑なのか。
 太陽光線をまあ7色に分解したとすると、そのうち最もエネルギーが高いのが緑色。その緑を植物は利用せずに(つまり他の色で以って光合成を可能にしたのであるが)動物たちに与えることにしたらしい。それは目にも優しいってことでもあろうし、エネルギー高い緑で以って動物諸君、やってくださいってことでもあろう。(稲本正という人が言っているそうだ)
 これはつまり、緑以外の光で以って生きていけることを示すものだが、動物みたいに動き回ることを選択しなかったことが大きい。花粉を昆虫に、種を動物に運んでもらう手段、あるいは種に羽毛や羽根を付けて風に運んでもらう手段を“考え出し”たからでもある。

 そう考えると、着飾ったり踊ったり相手の気持ちを推し量ったりデートの約束をしたりすっぽかされたり、ヒト含め動物たちは随分ムダなことをやっていると、言えないこともない。
 あるいは動き回る方法もあったのだろうけれど、昆虫を含む動物を利用することで効率化を図り、じっとして動かずに済んだ(東洋の思想、老荘思想に近いものはある)。もちろん持ちつ持たれつの面はあるんだけど。

 確かに植物は寛容で、いい“心がけ”を持った先駆者だったと言える。もしそうでなかったら、地球環境は大きく異なっていたことだろう。
 そうそう、人間様が大いに恩恵を蒙っている石炭も、元は太古の植物が地下で変化したもの。誰が考えてくれたのか知らないが、実にうまく出来ている。
 …以上、夏の自由研究第2弾でした。

コメント
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