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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

人の時間をーッ!

2014-11-16 11:41:00 | エッセイ
 
 ちょっとした打合せ、1時間くらいで終わると思っていたのが延々2時間も続いて、それも飲み物も何もなく、すっかりイヤになってしまった。そいつの顔、しばらく見たくなくなるほど。(皆さんにも経験ありませんか?)
 だいたい、人の時間を使わせてもらうってのは、それがいくら大事なことではあっても、相手の自由な時間、ひいては寿命を費やしているってこと。大切にしなければいけないのは当たり前。なのに自分の都合で勝手なことしゃべり倒すってのは、礼儀知らずもはなはだしい。

 思えば高校時代、受験対策と称して「補習」をさんざんやらされた。ほとんど毎日2~3時間。いわゆる〈いい子〉だったので、見たいテレビも読みたい本も我慢して補習を受けていたものだ。そのおかげで今の、そこそこの生活があるのだと思うが、若い頃にしかできないこと/感じられないことがあったはずなのに、と今でも悔しい気持ちはある。

 だからか、今ではつまらない会議の時など、全然別の思いに耽ることにしている。どうせ時間ツブされるのなら、好きなこと考えていたいよね。(ちなみのこの文章の大枠も、とある会議中に考えていたもの)
 会社からはさっさと帰りたいし、話もさっさと切り上げたいもの。こちら話が分かっているのに延々と話する人間てのは、いくら立派なこと言っていても、どこか知恵が足りないんじゃないかと思う次第。
 また、会議にしろ電話にしろ、どのくらいの議題(内容)があってどのくらいの時間が掛かるのか、話をする方は事前に言わないといけないだろうと思う。人の時間/寿命を使わせてもらっているのだから。

 そう言えば、定年を65歳にしようとかいう話もあるそうだが、こちとら真っぴら御免。60になったらさっさと辞めたいんだから。これ以上、自由な時間を盗らないでほしいものだ。

 …とここまで書いて、少しすっきりした。
 …とここまで読んで、時間損したと思ったあなた、大変申し訳ない。

 〔冒頭の絵は、ご存じサルバドール・ダリ『記憶の固執』〕


 
 
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