ちょっとした打合せ、1時間くらいで終わると思っていたのが延々2時間も続いて、それも飲み物も何もなく、すっかりイヤになってしまった。そいつの顔、しばらく見たくなくなるほど。(皆さんにも経験ありませんか?)
だいたい、人の時間を使わせてもらうってのは、それがいくら大事なことではあっても、相手の自由な時間、ひいては寿命を費やしているってこと。大切にしなければいけないのは当たり前。なのに自分の都合で勝手なことしゃべり倒すってのは、礼儀知らずもはなはだしい。
思えば高校時代、受験対策と称して「補習」をさんざんやらされた。ほとんど毎日2~3時間。いわゆる〈いい子〉だったので、見たいテレビも読みたい本も我慢して補習を受けていたものだ。そのおかげで今の、そこそこの生活があるのだと思うが、若い頃にしかできないこと/感じられないことがあったはずなのに、と今でも悔しい気持ちはある。
だからか、今ではつまらない会議の時など、全然別の思いに耽ることにしている。どうせ時間ツブされるのなら、好きなこと考えていたいよね。(ちなみのこの文章の大枠も、とある会議中に考えていたもの)
会社からはさっさと帰りたいし、話もさっさと切り上げたいもの。こちら話が分かっているのに延々と話する人間てのは、いくら立派なこと言っていても、どこか知恵が足りないんじゃないかと思う次第。
また、会議にしろ電話にしろ、どのくらいの議題(内容)があってどのくらいの時間が掛かるのか、話をする方は事前に言わないといけないだろうと思う。人の時間/寿命を使わせてもらっているのだから。
そう言えば、定年を65歳にしようとかいう話もあるそうだが、こちとら真っぴら御免。60になったらさっさと辞めたいんだから。これ以上、自由な時間を盗らないでほしいものだ。
…とここまで書いて、少しすっきりした。
…とここまで読んで、時間損したと思ったあなた、大変申し訳ない。
〔冒頭の絵は、ご存じサルバドール・ダリ『記憶の固執』〕