公園に行くと、こんな看板が立っている。
「ここではボール遊び・ローラースケート・スケートボードなどをしてはいけません」
おそらくどこかで誰かがケガでもしたからだろうが、こんな決まりに従っていたら、子供は一体どこで遊べばいいんだろう。どこか別の空き地へでも行くしかないのか。でもそこにもきっと、「ここは私有地です。勝手に入ってはいけません」だの「キケン!入るな!」とでもいった看板がまた立っているに違いない。
そんなの構わずに遊ぶというのが一番いいのだろうが、かくして、外で遊ぶことのできなくなった子供たちは、家にこもってテレビゲームでもやるしかなくなる。
公園といえば、事故があったとかで数年前から「箱型ブランコ」やら「回転式遊具」やらが撤去されている。ケガをしたからっていちいちその遊具を撤去していたら、何もない公園になってしまう。都会では実際、空っぽになった公園もあると聞く。
少々ケガしようが、自由に遊ばせるのがいい。事故やケガがあったからと、撤去するだの柵を設けるだの、責任とりたくないからだろうけど、何だか情けなくなる。
そうして危険から遠ざけていくと、ますます危険を回避することができない子供(人間)が増えることになる。すると安全なものがだんだん減っていくという、いわば〈ひ弱な世界〉になっていくことになる。そんなんでいいんだろうか。
学校や職場では今、個人情報保護とかいって、名簿作成もままならないらしい。住所やら電話番号が漏れると困るとのことだが、これまた情けない感じがする。卒業アルバム作製にも影響出ているそうだ。そのうち住所録なし、名前なし、顔もボカシ、の卒業アルバムになるかも(意味がない!)。
あと思いつくままに書いてみると、プールでの帽子かぶれだの休憩とれだの、学生コンパでのイッキ飲み禁止だの、政治家は1円から領収書出すだの、大相撲では両手をついて立ち合いするだの、メールにはすぐに返事しないといけないだの、チマチマチマチマした方向に向かっているように思う。
「こんな世の中に誰がした」とよく言われるけれど、こういうチマチマした世の中でいいのかねえ、と思ってしまう。できるだけ、そういう方向に行くのはやめにしたいものだが。
世の中が便利になればなるほど、文明が進めば進むほど、いろんな面で細かくなるのはやむを得ないのかもしれない。でも、ある程度いい加減な世の中でないと、息苦しくてしょうがないだろうと思う。(あと戻りは難しいだろうけど)
年取って、役所や病院に行った時、何だかよく分からないルールに振り回されるなんて、まっぴら御免だし。
〔写真は、サザンカの花〕