思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

続・ブログの危機!!結語ー「人権擁護法」と「人権委員会」のゆゆしき問題(改定ー増補)

2005-03-17 | 社会思想

3月13日夜、法制のプロの方と、3時間あまりにわたり話をしましたが、いくつかの基本的な点について聞き、確認をとることができました。感謝です。

?まず、この法案が対象とする「人権侵害」とは、主に市民=一般の人どうしの間での差別=人権侵害についてであり、国家権力―行政などによる人権侵害からの救済を主たる目的にしたものではないということ。

?次に、人権委員会の立入検査権については、法的に問題はないこと。なぜなら、立入検査は犯罪捜査を目的とするものではなく、また「政府」からの独立性をもつ独立行政委員会(公正取引委員会や人事院など)がすでに存在し、それらの合憲性は承認されているから。

?何が差別かの具体性をもった規定は、法文には一律に書くことはできない。なぜなら、差別は年齢性別などはっきりと分かるもの以外は、心の問題であり、その時々の社会常識により判断基準が変わるから。

以上3点です。


私の見解を以下に記します。

?について言えば、最大の人権侵害の問題は、国連からも改善勧告が出されているように、法務省の管轄である入管の収容場や刑務所・拘置所の問題であり、東京都教育委員会による個人の思想・信条の自由への抑圧、国際人権機関により批判されている警察の不当逮捕や長期拘留、その他種種の行政機関等によるもの、犯罪等の被害者に対するプライバシー無視のマスコミ報道、度を越したサービス残業に象徴される民間会社の不当な労働強要などです。

こうした公権力やマスコミや会社等から個人の人権を救済する制度をつくることが喫緊の課題であることは、常識ある市民にとっては自明のことです。

ところが、今回の「人権擁護法」とその下に新たに作られる「人権委員会」は、権力による侵害をあとまわしにして、個人間の問題を対象にするというトンチなものでしかありません。

深刻な家庭内暴力(幼児虐待等)に対処するため・・・とも言われますが、それならば、そのための限定法で対処するのが当然で、ブログの文書等も含むあらゆる市民生活を包括する法(人権擁護法)と制度(人権委員会)を新設するのは、?法務省がその権限を他府省に渡したくないという省益と、?市民の思想と生活を一定の枠内に閉じ込めたいとする思惑以外には動機がないと、私には思えます。

体制にとって都合の悪い人を、「差別発言をしている」と、複数の人が示し合わせて「人権委員会」に訴え出れば、どういうことになるのか? 個人の自由とパワー、熱気と元気と挑戦の気概が削がれることは、誰の眼にも明らかです。自由で大胆な意見が縦横に飛び交う社会でなければ、人々は生気を失い、生きる意欲が減衰してしまいます。これは人間の生の原理です。


? これは、とんでもない誤魔化しの論理です。立入検査が犯罪捜査を目的としないと法律に書いても、実際にはそれと同じ機能を果たすことが大いにあり得るからです。また、公正取引委員会の「立入調査」は、会社等の団体へのものであり、一般市民の家庭への立入調査ではありません。人事院の権限も、政府に対するもので、市民とは何の関係もありません。個人の家への立入調査が、裁判所の出す捜査令状なしで行えるという「人権委員会」の新設は、当然憲法第35条に抵触すると考えなければなりません。法案作成者の方、第13条、31、33条と共にもう一度お読み下さい。


? 政治制度としての差別問題解消の領域を超えて、心の領域・言語表現における差別の問題を法律で規定し、それを監視することは「市民社会の原理」とは相容れません。
法律(ルール)の本質が合理性にあることは論を待たないでしょう。法律が人間の内面・心・モラルまで規制するとしたら、合理性という法律の本質に反してしまいます。
道徳を権力で強制したらどういう事態になるのか?民主制社会は終焉を迎えてしまうのです。

結論:
こういう市民社会の原則をわきまえない法律と制度をつくろうというのは、民主主義の基本思想(哲学)を知らない人の所業です。この法案は、廃案にする以外にはありません。

なお、この問題の牽引役になっているブログの管理者は、日本の過去の問題ーアジアの人々への人権侵害の問題に対しての反省がなく、国家主義の色合いが強い人たちのようです。私の反対理由とは、考えの基本が異なります。

この「人権擁護法」と同等以上に問題なのは、「教育基本法」の改悪です私を捨てても公に尽くす精神の育成、を公言する「狂った」人間たちの企てからどうしたら子どもたちを守れるか?これから皆で考えましょう!ブログ者の団結で「市民精神」(クリック)による未来を切り開こうではありませんか。


2005.3.16.(増補17日) 武田康弘






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする