一昨日の東京新聞に、大日向雅美(恵泉女学園大学教授)さんの時代批評が載っていました。私はまったく面識のない方ですが、強く共感しましたので、ご紹介します。
隠れた時代の異変 論じる流れ起こせ 大日向雅美
「カエルはいきなり熱い湯の中に投じられると暴れるが、水から入れて徐々に温度を上げると、抵抗することもなく、息絶えていくと聞いたことがある。今の日本社会の政治に対する国民の姿勢がカエルのように思えてならない。
政治的な凪(なぎ)状態が一番怖い。(右傾化の)波がひたひたと押し寄せているのに、人々は、真正面から取り組む気概を失っている。
(教育基本法の改正案では)、個人主義教育の弊害が指摘されるが、公の精神は、私を殺して得られるものではなく、よりよく個が生かされてこそ得られる。これまで果たして個性や人権がそこでうたわれた理念どおりに尊重されてきたのかが、問われるべきで、法律の文言を変えて済む問題ではない。教育問題の解決に体を張って苦闘している人々の声に耳を傾けると、基本法改正の方向も明らかになることだろう。」(抜粋の文責は武田)
このあまりに当然の主張が実行されないところに、現代日本の恐ろしい程の危機があります。
身を挺して教育や社会問題にあたる人間を、「変人」か「馬鹿」か「間抜け」か「危険」な人物とみなすような世の中には未来ー希望はありません。
「国を愛することを法律に明記すれば、最後には人を愛する人間になる」!!??
「個人尊重の行き過ぎが、親父狩りのような非行を生んだ」!!??という前・文部科学相の主張を東京新聞で読んだ中一の女子は、「これって言ってること反対じゃない!」「何にも分かってない!」「完全にいかれてるよね。」と言っていましたが、まったくその通りです。
日本の中学一年生は、これだけまともな判断ができるのです。(だから出来ないようにする?)
世の思想家や評論家と言われる方々、受動性の精神に浸り、現状肯定の理論―哲学!?を緻密化する努力=自己弁護や、犬の遠吠えのごとく「進歩的」な理念を安全地帯から叫ぶだけという小心者・テイタラクからそろそろ脱出したらいかがでしょうか? 失礼! 「りこうの壁」を取り払う努力が大切です。
身を挺して事にあたらなければ、ほんとうのことは何も見えてきません。エロースはやってこないのです。これは原理です。
2005.3.22 武田康弘