思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「正しい」思想!? 哲学者とは恋に生きるエロースの人(ソクラテス)

2005-03-20 | 恋知(哲学)


「正しい」思想?「正しい教育」?「正しい」人生?人間?「正しい」地域?国?
へんですね~。「魅力ある」・・や「よい・美しい」・・ならば分かりますが、「正しい」・・は、意味不明です。
「正しい」か「間違え」かは、本来、狭く限定した領域についてしか言い得ません。

哲学や思想の世界で言えば、認識論(人間の認識の意味・ありよう=主観の構造)については、相当程度に「正しい」記述・解明も可能ですが、能動的な生き方の問題については、「正しい」はないのです。より「魅力的」な考え方、より「人生を楽しめる」考え方、より「問題解決可能な」考え方、一口で言えば、より「よい」考え方・生き方を求めることができるのであって、「正しい」思想?を考えることはできません。「正解」は存在しませんから。ほんらい「恋知」と訳されるべきソクラテスの哲学とは、「客観学」ではなく、「主観性」を深めることで普遍的な了解をつくりだす営みです。

生きることをより深く味わうこと、より魅力的な人生を創造すること、より深い納得を得ること、そのために哲学(知に恋すること)は、あるのです。哲学とは、「正しい」思想を提示するものではありません。エロース豊かな善美(よい・美しい)の世界に憧れる人生を歩むこと、それが哲学です。

ソクラテス・プラトンの哲学とは、エロース(恋)の情熱に基づく対話=「能動的な」人生のことであり、受動的な「観想」の態度ではありません。静的な理屈の世界ではないのです。大学の中で「研究」!?できるものではありません。野に・人々の中に・現実社会にあるのです。ソクラテス・プラトンによる哲学者の定義とは、「知恵を愛し、美を求め、詩・音楽を好み、恋に生きるエロースの人」です。より「よい=魅力」ある人生・社会とは何か?を探求し、憧憬し続ける者のことです。

(古典中の古典、プラトン著「饗宴」と「パイドロス」は、座右の書。ただし、岩波文庫の「饗宴」は、訳が古く、読むの難儀します。鳥影社の多田さんの訳ー「饗宴・愛を巡る七つの物語」が読みやすいです。「パイドロス」は岩波文庫でも大丈夫です。)

潜在的な「よい=魅力」を顕在化すること、それが哲学本来の役目です。

2005.3.20 武田康弘




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