思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ノーと言えるあなたと私に。危ない思想の中曽根康弘、石原慎太郎に「ノー」を!

2005-03-31 | 社会思想

なぜ、日本人は恫喝型の権力者に弱いのでしょう?

「石原や中曽根は、はっきりものを言うから、支持する。」という人がいますが、それで支持するなら、ヒットラーも支持することになりますね。

政治権力者の場合でいえば、思想内容こそが問題にされなくてはならないはずです。

大きく分ければ、?明治政府が意図的につくった「天皇制国家」、膨大な嘘で固めたイデオロギーの方向に近づける形で日本の未来を考えるのか?中曽根の天皇元首論がそれを代表する思想。
?市民主権社会―人間の自由と平等の人権思想を拡げ深める方向に新たな日本があると考えるのか? これについては私、武田康弘の「皇族の人権と市民精神の涵養クリックをご覧下さい。

この見定めこそが、あなたとわたしと子どもたちの将来を、上意下達の、形式が先立つ固い社会にしてしまうか? 異論が歓迎され、それに依拠する彩り豊かな社会に移行していくか? の分岐点になるのです。

私は、黙っていないで、少しの勇気を持ちたいと思います。一人ひとりが、じっとして小さくなっていれば、それに見合った未来しかやってきません。自分たちの生活と社会は自分たちで守りつくる以外にはないのです。恫喝や権力主義に屈すれば、エロースの乏しい窮屈な社会しか与えられません。

オタク的な狭視野なものの見方ではなく、大きく人間や社会全体の問題についてのイマジネーションを広げれば、個人としての私の人生も彩り豊かな幅の広いものになります。

新たな「市民精神」による「市民主権社会」を生み出せるか? 「エリート」による「国家主義」の方向に舵を切るのか? 日本はいま大きな分岐点にあると思います。何よりも一番大事なことは、政治権力者の思想内容、その方向性を見定めることです。

合言葉は、「受動から能動へ」です。どんどん発言しましょう。勇気を出して。たとえ、そうとは思えないとしても、わたしたち一人ひとりの実存には大きな力があるのです。
 
 日本をよく知る外国人は言います。日本の著名な政治家の多くは、何の普遍性もない頭の悪い「日本主義者」でしかなく、学者の多くは、紋切り型の言説を繰り返すだけの「機械的な頭」しかない人、それに反して日本のふつうの人々は、ずっとよく考えていると。

2005.3.31 武田康弘





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