思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

子どもたちの実存を育てよう!!「新・教育基本法案」の歪んだ思想との闘い?

2005-03-18 | 教育

シリーズ?です。ブログ者の力を合わせて、子どもたちの「実存としての生」を後景にしてしまおうとする自民党・文教族のイデオロギー(新・教育基本法案)を打ち破りましょう!!共に。
新教育基本法案についての具体性をもった批判は、シリーズ?以降で行います。


人間と教育の原理ー「実存は本質に先立つ」

わたしが思う「優れた人」とは、吸い取り紙のような吸湿性をもった人です。
襞(ひだ)が細かく、襞が多く、襞が深い人です。
逆に言えば、自分の心を、素直に・自然に・自由に開くことのできる人です。
死ぬまで「固まらない」人です。

「伝統」という概念に固執し、縛られ、固い鎧兜を着た人には、発展性がありません。優れた人とは、「伝統」から新しい世界を生むことのできる人です。
古いものに縛られ、自由な想念を広げることのできない人は、自他を共に不幸にします。

自民党文教族の人たちの顔は、総じて固く神経質な顔ですね。人間的な柔らかさ・面白みがなくエロースの少ない顔です。既成秩序が優先し、自由な発想が乏しく、内容の豊かさは後回しで、保守的で固い論理をもった形式好き、特に国旗と国歌を熱愛するフェティシスト、そんな顔にしか見えません。失礼!(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』ー顔は顕現する!!)

このような人たちは、本来、最も「子どもたちの教育」にはふさわしくないはずです。ある特定の傾向に人間を閉じ込める=固い「理念」を優先させるやり方は、本質的に人間の教育には合いません。本来、大人は虚心に子どもの姿を見て学ぶのです。スキンシップを含む「心身全体での対話」という方法が教育における理念なのです。予め決まった内容を持たない「理念ならざる理念」です。

人間の様々な事業の中で、唯一、教育のみが通常の意味での理念をもってはならない営みです。実存する子どもたちを見て、どれだけ吸い取り紙になれるか?一見、非合理にしか見えない子どもの言動・全身から発するメッセージを、心身の全体でどこまで受け止めることができるか?が、勝負なのです。子どもたちの実存のありようによって、常に自在に変化してゆく通常の理念とは異なる「理念」が求められます。人間教育においては方法が理念の役目をもつのです。「実存は本質に先立つ」からです。

「よき人間を育てる教育」のためには、「工場生産物の品質管理」とは正反対の思想と方法が必要とされます。人間は何かのために存在するのではなく、生きること=存在すること自体が価値・エロースなのですから。

2005.3.18 武田康弘


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