思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

エロースの奥儀は、足るを知ることー恋知(哲学)79

2006-06-15 | 恋知(哲学)

技術革新(イノベーション)という名の強迫神経症に陥っている企業活動と、その成果と情報に振り回されている私たちの生活―新奇さを求めることでしか生の実感をもてないまでに深く神経を病んでしまっている現代人。
次を、次を!と叫び、もっと、もっと!と欲望を膨らませることがよき人生だと思い込まされている現代人。
無目的・無思考、自分・人間が生きる意味の探求抜きに、ただ早く多くの練習問題を解くことに駆り立て、駆り立てられる「受験」が命の現代人。

絶対や完全を求め、やみくもに多くの資格、多くの知識、多くの金品、多くの注目、多くの○○、を求める精神疾患を治さないと、現代人は「根源的不幸」の海に沈んだまま浮かび上がれません。

人間に生にとって価値のある世界=エロース・悦びは、「足るを知る」という自足の心がなければ広がらないのです。
自足とは、あるもの=自然=自分を生かす心です。目の前に、足元に、よきもの・美しきものは、無際限に広がっています。知識・履歴・財産などの「所有」に囚われる心が消えれば、エロースはどこまでも広がります。存在するもののよさを見出す力は、沈思する心にのみ宿ります。

にこやかな愉悦の人生・深い思索がもたらす至福の人生は、次々と何かを追い回すのではなく、眼の前にあるよきもの・美しきものを発見する悦びの心が生み出します。「自足」の深い意味は、存在を開示し、存在を生かすということです。

「より少なく働き、より少なく消費する」ことは、多くを味わい、充実した人生をうみ出す条件です。吟味する心・じっくり味わう心・沈思する心がなければ、真によいことは何事もなし得ません。ほんとうによいもの・よいことを、深く知り、味わう人生=エロースの生こそが人間の生きる意味です。「足るを知る」(自足)という心がないと、エロースは暴走し、自滅してしまうのです。

真に価値あるものを多くを生み出すためには、より少なく・・・が条件です。限定することではじめて豊穣がもたらされる、という逆説を知らないのは不幸です。

武田康弘



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