「公、私、公共」の三元論(東大出版会のシリーズ「公共哲学」の基本理念)
に対して、荒井さんから繰り返し批判が出されていますが、
私は、この問題は、ことば=概念の捉え方の問題だと思っています。
プライベートな私生活の世界でのわたしと、社会人=公民=公共人=市民としてのわたしは、切断はできませんが、区別することが必要です。この二つの次元のうち、社会人としてのわたしを「公ないし公共を生きる私」と呼び、
その「公ないし公共を生きる私」の活動をサポートするのが「官」(広義の役所、役人)だと位置付ければよいでしょう。
私的なわたし と 公的なわたし と 官、という二元論でも三元論でもあるよう?ないような?見方が一番現実的でみなの納得がえられると思いますが、いかがでしょうか?
その三つは次元が違っているので、立体化して見る=捉える他はないというわけです。
武田康弘