思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『欲望存在の自覚と肯定ー公共哲学の原理』 対するコメントです。

2006-11-26 | メール・往復書簡

11月21日のブログ=欲望存在の自覚と肯定ー「公共哲学」の原理へのコメントです(シナモンさんのコメントはミクシィブログです)

2006年11月22日
03:04

シナモン

すごく勉強になります!でもこれ、もう少しやさしい文章じゃないと私のまわりの友人には難しいかな~。私も難しい~。
でもね、思ったんですけど、
人間の生きてるエネルギーのもとのものを魂とすると、現段階で私が納得してる魂の定義が、宇宙のエントロピーに逆らう唯一のもの、だと思うんです。つまり欲望もそうかな。これが基本だとつくずく感じた文章でした。
私は理屈つけるほど能はありませんが、
人と向き合うときに、相手の「欲望存在」を知り、理解し、認めるということが大事だな~と思いました。
またずれてたらすみません。
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2006年11月22日
11:00

タケセン

「欲望」を憧憬化させて語れば「理念・ロマン」になり、形而上化させて語れば「魂」になる。そんな感じがします。
もっと易しくする努力をします。
よいコメント、ありがとう。
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2006年11月23日
00:12

シナモン

ごめんなさい、ブログ上の友人はみんな頭いいから上記の文章でも大丈夫だとおもいます。ただ、日常の友人に特に読ませたいな~と思ったときに無理だと感じました…。私は勉強になるので丁度いいです。
どうぞそのままで気になさらないでくださいね。すごく気ずかされて
感謝しています。
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2006年11月23日
10:30

タケセン

分かりよく、は大事なので、いつも心しているのですが、「常識」をめくろうとすると、どうしても難しくなってしまいます。さらにこなれれば、やさしく且つ明瞭になるはずだ思い、チャレンジし続けています。
ついでに、
親子の会話を聴いていると、親は、子どもの「欲望」を否定することが、子どもの存在を傷つけていることだとは気づいていないようで、それが恐ろしいことだと思います。欲望とは人が生きる原理で、それを否定することは、その人の生を否定することなのに、です。
それから、話し合いが成立する前提は、どんな人や組織でも、客観的真理などもってはいない、なぜなら「客観」とは背理だからだ、という認識論の原理を踏まえることの相互承認です。みなが主観を深め豊かにする、それを交換することが、社会性・公共性を生む。そうでなければ、公共性とは、集団に合わせることとか、学者が決めることとか、政府の決定に従うこと、でしかなくなってしまうからです。そうなれば、公共性や公共哲学は成立しません。へ理屈で「民」を抑圧するおぞましいエセ哲学にしかなりませんから。
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2006年11月27日
01:34
シナモン

ほんとうにそうですね。「欲望」を否定された子供は生きるためにものすごいエネルギーを消耗するか、発散するかしないと存在できないから、いろんな悲しい事件や、人生を耳にするような気がします。
人間関係においても、社会においてもこれは基本でなければ、誰も納得出来ないのではないかと思います。問題解決の鍵ですね! 
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2006年11月27日
09:43
タケセン

その通~りなのです(笑)。芯をよく読み取ってくれて感謝!です。

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[ 古林治 ] [2006/11/24 10:06]

『実存的生(欲望論)から公共へ』
公共哲学を哲学とするための基礎づけということになりましょうか。(よくもまあこれだけ短い文章に本質を書き込んだもんだ!)
これまで公共哲学にかかわる方たちの説明では、この最も重要な点に触れることを避けているように感じていました。合意が得られないと思っているのか、わからないから避けているのか。いずれにしても、そのことが深さと広がりに制約をかけてしまう原因でしょう。
これを機により突っ込んだ議論を進めて欲しいものです。
 ところで、この文章、一般市民にとってはまだまだ難しい表現であるように思われます。最初に引っかかるのは『欲望存在』でしょう。日常世界では、『欲望』とはネガティブなイメージでしかありません。多少長くなっても、もう少し砕いた表現があっても良いように思います。無理な注文ですかねぇ?
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[ タケセン ] [2006/11/25 09:29]

古林さん、コメントありがとう。
本質を凝縮して書いたらこうなってしまった!(笑)。
「欲望存在」==ビシッと、そして、ショック的でいいな(笑)、そう思ったのです。
もう少し砕いた表現ができるように努力したいのですが、それがどうも私には難しいーのです。古林さん、そこのところよろしくお願いします。
ミクシイブログにシナモン(19歳の学生)さんからのコメントがあり、それに対するコメントをしましたが、そういうやりとりを載せると、「砕いた」感じになり、伝わりやすいでしょうか?どうでしょう。

武田康弘。



コメント
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