思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

演技をやめることと、サービス精神の発揮と。

2006-11-06 | 恋知(哲学)

恋知(哲学)するとは、
演技をやめ、仮面をはずして生きることです。赤裸々に己の存在を見据え、その場所から始める生の営みです。
同時にまた、
存在(いまここに生きて在る)の次元で他者と関わり合う=「呼びかけ」という倫理に基づくサービス精神ゆたかな生を生きることです。お愛想ではなく、内面から出てくる他者への訴えかけとしてのサービス精神の発揮です。

つづめて言えば、演技をやめて実存につく生き方とサービス精神の発揮。この二つを同時に可能にするような心と頭の使い方を身につけることが恋知(哲学)です。

したがって、恋知(哲学)者の生とは、深いと軽い、真剣と冗談、真面目と大らかの同居です。だから「子どもはみな哲学者」といわれるのです。大人になるにつれ哲学から遠くなり、人生は暗く固くなり、型はまりの紋切り人になる。イヤですね。いつまでもみな恋知(哲学)者でいたいもの。

恋知(哲学)をする生は、もっとも優れた人間の生き方です。
恋知(哲学)しつつ生きる人は、みな恋知(哲学)者です。何がよりよい考えか?生き方か?を追求する営みは、エロースあふれるもの。


武田康弘




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