思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

近代社会原理への無知がもたらす暴言―「国の監査官が学校を評価する」安倍首相の「美しき国へ」

2007-04-13 | 教育

「ぜひ、実施したいと思っているのは、サッチャー改革が行ったような学校評価制度の導入である。学力ばかりではなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを、国の監査官が評価する仕組みだ。問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする。・・監視の情況は国会報告事項にすべきだろう。」(安倍晋三「美しい国へ」211ページ)

これは、無知がもたらす驚くべき!!!暴言です。国家が教育を直接管理するというのは、近代民主制社会では許されない思想ですが、このような反・民主主義の思想を謳った愚本が市民権を得ているというのは、恐ろしいことです。

【生活者の常識、市民精神の尊重、合意に基づくソフトな秩序】による学校運営は、民主制社会の大原則であり、これに反する安倍首相の【政府=国家主導の教育】は、近・現代社会の原理=社会契約(論)への極めてハレンチな挑戦でしかありません。

国家が個人の上にたつような思想をもつことは、民主制社会では許さていません。個人の思想や家族のありようについて、ほんらい政府が口を出すことはできないのです。このあまりにも当然の前提を無視するかのような発言が安倍政権から出ているのには呆れ返りばかりです。「人権シンドローム」などという戯言を文部科学大臣がするとは、この政権はすでに終わっている、と言わざるをえません。

戦前の日本の政治家を評した言葉、「日本の政治家たちの力は、一般的思想の驚くべき貧困と結びついたシニカル(冷嘲的)な現実主義にある。だが、これはまた彼らの弱みでもある。近代国家の発展を支配する法則に対する理解は、彼らにはまったく無縁である。・・このような知的構造をもった人々は、ある一定の条件の下では例外的な成功をおさめることができるかもしれないが、それと同時に国を未曾有の大災厄に投げ込みかねない」(「破局に向かって突進する日本」1933年・L.トロツキー)が、いまもそのままあてはまります。

自民党(のみならずですが)の有力政治の大多数は、近代社会の国家原理である社会契約論の意味についてまったく理解していません。安倍首相の中心ブレーンである八木秀次などに到っては、本質次元における思想の意味や価値について理解する能力を持たず、ヨーロッパ思想の一知半解に基づいて自身の国粋主義のイデオロギーを恥じかしげもなく主張するというお粗末です。現代日本の知的退廃は目を覆うばかり。

武田康弘



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