ほんとうに市民が主体になる「新しい公共」をつくるための思想的基盤は、【ルール的人権】という考え方にあります。
名実ともに市民が主権者になるためには、その基盤となる思想が必要です。ただ憲法に書かれているという事実だけでは、市民主権は現実のものにはなりません。哲学的な掘り下げが足りないと、ただのお題目に留まってしまいます。
何かしらの超越項(例えば、「神」とか「個人の絶対不可侵性」とか)を置かずに、人権という民主制の中心思想を位置づけないと、必ず特定のイデオロギー(例えば、「伝統や国家の常識」を基準とする)による上からの秩序化によって、公共性は外的強制へと転化してしまいます。
その見本のような思想(現代版「国体思想」)が安部首相の中心ブレーンである八木秀次の「反人権宣言」(ちくま新書)です。【ルール的人権】の思想は、安倍政権のおぞましく危険な国家主義思想をその基盤から消去するものです。
【ルール的人権】の思想を、人間の生の現実を見つめ、哲学的な原理論として提示したのが、金泰明さんの「共生社会のために二つの人権」(クリック)です。
公共哲学の哲学的基盤となるこの思想を皆が知り、発展させ、現実化することが必要だ、私は強くそう確信します。ぜひ、お読み下さい。
武田康弘