思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

自己を生かすためには、自己を相対化する作業が不可欠。

2007-04-20 | 恋知(哲学)

「面白くない」、いまどきの言葉で言えば、「むかつく」という感情は、誰でもが持つことがあるでしょう。
こういう感情に包まれた自分を否定せずに、よく見つめることはとても大事なことです。
ごまかさずに自己の気持ちを見・知ることは、よく生きるためのはじめの一歩です。

しかし、その感情がどのようにして?なぜ?生じたのかをよく考えることをしないと、初めの自分の感情に縛られて、世界が広がりません。
子どもたちは、しばしば「むかつく」「頭くる」といいますが、そのとき大人がその感情を否定せずに、どうしてそう感じるのかをよく聴くことで、「初めの感情」を相値化していく作業をサポートする努力が必要です。

初めの感情にいつまでも囚われていると、思考する・自分で考えるという営みが始まりません。怒りや苛立ちの感情は、確かにひとつのパワーですが、そのままでは人生にとって有益なものにはならず、逆に自分をダメにしてしまいます。自分の感情を相対化できないと、よき考えは生み出せないからです。思考力が鍛えられずに、感情の湧出に留まってしまいます。

哲学とは、はじめの感情や直感にこだわらずに、その地点からしっかり思考を降ろす作業です。いったん溜めて、反芻することが必要です。ありのままの心、直感は哲学の出発点(もう少しきちんと言うと、認識論の原理は「直観=体験」であり、実存論の原理は「欲望」)ですが、出発点=はじめの感情や直感に留まれば、それは「反・哲学」にしかなりません。

自己を相対化する営み=哲学することこそが、より大きく深い世界を拓く鍵です。自分を生かす、エロースを広げるためには、沈思する作業が不可欠。反射的な反応が支配する現代社会では、ひろく哲学する営みは何より大切なもの、私はそう考えています。

武田康弘





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