思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

価値ある言動とは、内なる感覚・想いから生じる

2007-04-09 | 恋知(哲学)

人間のあらゆる言動は、ほんらい、その人の内なる感覚・想いから生じるもの。
自分自身という中心(エゴ・自我主義ではない)をもち、その場所から掘るもの。
外からの刺激は、内面化されて自分自身の心の声にまで変容しなければ、刺激に翻弄される外的人間に陥ります。
あれも、これも、という感覚は、自分が自分として、統一されたひとりの人間として生きていない証拠。
根っこと幹があり、そこから枝葉が大きく伸びるというのではなく、自己が分裂して、自分自身としての意味充実がないために「目移り」するというのは、不幸な人生でしかありません。
人に対しても物に対しても「浮気性」の人とは、現代の根源的な不幸=意味の薄い人生を歩む人です。
たえず刺激されて「飛んで」いなければ、面白くないと感じるのは、底なしの不幸です。
悦びとは、内なる感覚を心身の全体で感受することであり、外的価値を追い回すのは「死に至る病」でしかありません。
ほんとうに必要で有用なもの、真に自他の充実をもたらすものは何か?と沈思することは人生のアルファでありオメガです。
人付き合いも同じ。迎合もまた競争もよきもの・美しきものをもたらさず、よろこびは広がりません。
深い納得、内的意味充実の世界を生きられない人は、刺激に依拠して生きるしかなく、自他を不幸にするだけ。
私は、内なる感覚・想いを深め、広げるエロースの人でありたい。そうでなければ、つながることもできません。

武田康弘

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