思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

理念の大切さと理念主義の恐ろしさ

2007-04-03 | メール・往復書簡

理念の大切さと、
理念主義の恐ろしさの問題は、
ロマンを育むことの大切さと、
ロマン主義のおぞましさの問題と同じで、
極めて重要ですので、
「コメントという形での対話」を整理して記事にします。
(荒井さん、智子さん、タケセン)

【理念をどう導くか?の記事へのコメント】

[ 荒井達夫 ] [2007/04/01 07:38]
ある法制度(例えば、人材バンク)について議論する場合、その役割や機能を現実具体的に考えるとともに、その法制度がそもそもどのような法の理念に基づいているのか、吟味することが非常に重要であると思います。
人材バンクは、法の手段。各省による再就職あっせんの禁止が、法の直接目的。官民の垣根をなくして人材移動を活発にすることが、法の間接目的。では、法の究極の目的は何か。それは、どのような理念に基づいているのか。
このような思考、議論がきちんとされていないところに、問題が発生していると考えています。
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[ タケセン ] [2007/04/01 13:48]
荒井さん、コメントありがとうございます。
「その法制度がそもそもどのような法の理念に基づいているのか、吟味することが非常に重要であると思います。」(荒井)
その通りだと思います。こういう一番大切な営為がないのが日本の現状ですね。
ただ、さらにその先を考えるのが、哲学の重要な仕事です。
それは、【ある法の理念が生まれたのは何故か?】を生活世界の現場・赤裸々な心の本音から見ようとする作業なのですが、これがないと生活世界の「具体的経験」ではなく、ある「理念」から出発することになって、根っ子が切れた理念=理念主義へ陥り、皆の生の実感とはかけ離れてしまいます。哲学するとは、理念がつくられるおおもとを探る営みです。
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[ 荒井達夫 ] [2007/04/01 17:46]
法制度がどのような理念に基づいているのか、しっかり吟味するためには、「理念がつくられるおおもとを探る営み」がなければダメですね。つまり、哲学なくして法の理念は語れないと思います。そして、それは「生活世界の現場・赤裸々な心の本音から見ようとする作業」であるということ。実は、私、つい最近になって、このことを意識し始めました。大学クラスで皆さんと、ああでもない、こうでもない、といろいろ話をしているうちに、血の通った思考になってきたように思います。
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タケセン ] [2007/04/01 21:53]
新井さん、大変うれしいコメント、感謝です。
「血の通った思考」、制度としては、どこでもやっていない一番大切な教育、これがないから、わが日本人は総体としては、いつまでも内的精神の自立が得られず、思想の自由を行使できないわけです。
具体的経験に立脚し、自分の頭で考え、血の通った思想を生み出すという、人間が人間として生きるうえで一番大切な営みがどこにもないというのがわが日本の現実です。
孤軍奮闘に近いタケセンとしては、荒井さんのコメント、とても励みになります。
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【愛は強制できるか(東京新聞社説)の記事に対するミクシィブログへのコメント】

2007年04月01日 22:31
智子

武田先生、お久しぶりです。私も最近の政治の動向が、変な方向へ向かっているようで、恐ろしく思っています。内心の自由まで否定して愛国心を強制する洗脳教育が始まるのでしょうか。まるで軍国主義に向かっているようで、危機感を覚えています。自分がなにができるか考えています。
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2007年04月02日 10:10
タケセン

智子さん、コメントありがとう。
右であれ左であれ、上位者に従い、集団同調するという風潮は、個々人から発するパワー、悦びを奪い、地位や肩書きやの鎧兜に頼る人生しか歩めなくなります。外的価値による評価しかできなくなるために、「人間性の魅力」の源泉を枯らしてしまいます。
伝統尊重・愛国思想の政治・教育が恐ろしいのは、上位者への従順と外的価値(特定の理念)による内面性の抑圧によって、人間性の魅力の源泉である「実存としての心」を踏みにじるからです。
私が危惧するのは、「理念主義」(この場合は、愛国や伝統尊重という理念)の恐ろしさ・オゾマシさなのです(この一つ前のブログに記載した通り)。
イデオロギー・理論によって政府の方針に立ち向かうという従来の方法ではダメで、赤裸々な心を開示する手法=実存からの異議申し立てが必要だ(そこに基盤に立脚した知のありようを民知と呼ぶ)と言うのが私の考えです。
ぜひ、友人や近所の人に呼びかけて、あらゆる種類の権威者に侵食されることのない皆の心の発露の場(小雑誌でも、おしゃべり部屋でも、インターネットコミュニティーでも・・・)をつくられることを!!


コメント
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