思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

罪もない人を犯罪者にして「お気の毒」!これが法務大臣?―激しい怒りと憤り

2008-02-14 | 社会思想
わたしは、自由でやわらかな子どもたち、何の特権的な力も持たないふつうの人たちこそがほんものの人間だ、という不動・絶対の確信をもって、小学生以来、ずっと生きてきました。小学5年~6年生のとき先生に頼んでつくってもらった「政治クラブ」で学んだ日本国憲法の人権思想は、まさに人類普遍の原理であり、これに反する思想を持つことは許されない、と深く・強く確信したのです。
「職業に貴賎はない」という考えを持ち・実践する人間ではない人、いわゆる「「エリート」という意識を持つ人は、もっとも恥ずべき人間で、そういう人は犯罪者よりもはるかに悪い=【反・倫理的人間】だ、と強く思い続けてきました。
だから、まだ自分の家の宗教(浄土真宗)については何の興味もなかった高校生の頃に、神田の書店で偶然立ち読みした『歎異抄』に身が震えるような感動を覚えたのです。

学歴や履歴が「立派」で、哲学的=人間的=本質的に劣っている人は、必ず「エリート風」を吹かせるものです。

鳩山法務大臣の発言―【鹿児島県の選挙違反事件】(手柄をあげるために警察官がでっち上げた事件で、これに検察も同調し、違法な脅しによる取り調べで村人を逮捕・起訴・抑留したおぞましい事件。わたし(武田)は、自国民を拉致するような【警察と検察=公(おおやけ)】による犯罪で、北朝鮮を非難する資格はない、とブログに書きました)での無罪判決を、「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」と発言したとのことですが、こういう人間をわたしは決して許しません。

ただ、「被告にされた方々に大変なご迷惑をおかけした痛切な気持ちはもっている」と補足したと新聞には書かれていますが、無実の罪で(明白なアリバイがあったにも関わらず)1年間も刑務所に入れられていた人に対して、「ご迷惑をかけた」で済むと思うのは、まさに特権階級者の意識=民主主義国家では許されないおぞましき意識という他ありません。証拠もないのに起訴した【鹿児島県の検察と警察】に対して処分らしい処分は何も行わないという法務大臣は、法務大臣としての最低限の資格すらない、と言えます。法律とは、市民を守るために存在する(それが法律の本質)という基本さえ知らず、【市民的公共】とは別に【「公」という名の国家権力】が存在するかのような妄想にとりつかれている人には、市民の代行者としての政治家の資格はありません。現代の日本は、「天皇の下での臣民」の時代ではないのです。

どうも政治家にしても検察官にしても、自分が「主権者のサービスマン」であることを忘れて、人の上にたつ「エリート」とでも思っているふしがありますが、もしそうならば、対等な個人という近代民主主義の大原則さえわきまえない愚か者、という他はありません。一刻も早く辞めてもらわなければなりません。

武田康弘
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