思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

一人ひとりの存在の価値・輝きを超えるものはない。

2008-02-23 | 恋知(哲学)
君の存在は、○○君の存在より優れている。
あなたの存在は、○○さんの存在より劣っている。
そんなことを言える人は、この世の誰ひとりとしていません。

100メートル走の優劣や、計算能力の優劣は言えても、その人の存在価値の優劣は誰にも分からない、と言うより、元来決めることが不可能な領域の話です。

天皇家に生まれた人間は、あなたより価値が上だ、ということももちろんありません。どこの生まれ、などで存在を規定するのは、最も下劣な想念です。

土台、ある特定の人間が他の人間すべてを「象徴」するなどということが出来るはずがないのは、誰にでも分かることで、子どもたちはみな、そんな話がデタラメだ、ということを知っています。特定の思想教育を受けていないふつうの子どもは、赤ちゃんの時から「○○さま」と敬語で呼ばれる特別な存在がいることを訝(いぶか)しく思います。

話が脱線しましたので、戻しますが、
人間の存在、いま、わたしがここに生きてあること、それ以上の価値はないのです。わたしの存在、あなたの存在、存在していることの驚異・輝きは一切の基盤であり、価値論として考えても、一人ひとりが「生きてある」こと以上の価値はどこにもありません。至上の価値とは、一人ひとりの存在にあるのであり、したがって、わたしの心の想いや良心は、何よりも貴重な宇宙なのです。

人間が類的存在であること・関係性の存在であることの深い意味と価値は、個々人の何よりも貴重な存在の輝きに照らされてはじめて現実に価値あるものとなるのであり、その実存の価値を少しでも減じるようなシニカルなものの見方は、必ず人間的なよきものを潰します。自分の命や存在を軽視する思想は、実り豊かな関係性をつくらず、あだ花を咲かせるに過ぎません。

己の存在の価値を深く自覚するに比例して、公共性=関係性は豊かな内容を持つよきものとして広がるのであり、形式的・儀式的思考や、要請や命令の言説は、形だけ・うわべだけのエロースのない「関係・間・あわい」しか生まないのです。これは原理です。


武田康弘
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