闘いに勝った、ついに、外をも制する「内なる闘い」に勝ったベートーヴェンのよろこびの交響曲。そういうコンセプトの下で奏されるプレートルの第九は、実に生き生きとし、晴れやかな美に溢れています。
わたしは、12月16日のブログに「今年の暮れはプレートルの第九で」と書きましたがhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1024473138&owner_id=548859、聴き込むうちに、どうも暮れに一年の締めくくりとしてではなく、初々しく新年を迎えるのにピッタリだ!と感じましたので、訂正します。「プレートルの第九は、新年にこそふさわしい!!」と。
みんさん、ぜひ購入してお聴きくださいhttp://www.hmv.co.jp/product/detail/3307280。なにものにも負けない偉大な精神を感受して、深く大きなよろこびを持つでしょう。
以下は、先月ですが、「プレートル」というコミュニティでのやりとりです。
今月(2008年12月)の新譜で素晴らしい「第九」が出ました。
2008年のニューイヤーコンサート、熱く感動的な指揮で聴く者を魅了したフランス楽団の大御所ジョルジュ・プレートルのベートーヴェンです。
もう大昔になりますが、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」全曲や、ビゼーの「カルメン」全曲(カルメンはマリア・カラス)で、その豊かな情感と艶やかな音楽にほれ込んで、わたしが長年愛聴してきたLP(両者共にCD化されています)の指揮者がプレートルです。
彼の第九は、実にチャーミングです。もう84歳(録音時は82歳)のプレートルは、ほんとうに若々しく情感豊かです。若い指揮者よりもずっと音楽が瑞々(みずみず)しく、色っぽいのは不思議です。響きのふくよかな美しさは、今はすっかり失われてしまったものですが、明晰で緊迫感をもった大迫力の演奏がしなやかで柔らかい音で奏でられているのですから、聴き手は大きな幸福感に包まれます。今年の年越しは、情感あふれる見事なプレートルの「第九」を!(このCDは音量レベルが低いので、ボリュームをあげてお聴きください)
タケセン(武田康弘)
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タケセン様
おおおおお、なんと素晴らしい。
巨匠の感性の指揮、明日早速買ってこなくては。
この年齢にして情熱的な指揮振りとは、素晴らしいスーパーご老人です。
(カルーア@紬子屋)
――――――――――――――――――――――――――――――――
カルーア@紬子屋さん
12月10日発売ということでしたので、HMVで予約しておいたのですが、8日に届きました。すでに6回聴きましたが、聴くほどに好きになる「豊かな」演奏です。艶と色気がなんとも素敵!豊穣でかつ怒涛の迫力です。
カルーア@紬子屋さん、早く聴いて~~(笑)。
(タケセン)
―――――――――――――――――――――――――――――――
カルーア@紬子屋、タケセンさまこんにちは
タケセンさま、はじめまして
新譜、教えていただいてありがとうございます。
私もやっと買って聞きました。
ミクシィのレビューにのせましたので、どうぞタケセン様もお書きください!
プレートルは大好きですが、ほんとをいうとあたりはずれの大きい方ですから、ちょっと躊躇しました。
でもこれはあたり!
実は大人になってからきらいになった作曲家の一人にベートーベンがありまして。なんでかっていうとダサいんですね。こんなことを言うと矢が飛んできましょうか。
しかしプレートルがやるとダサくない。そして力強さもちゃんと残っている。ベートーベンさまごめんなさい、本当はこう書いたつもりだったのに、みんながベートーべンとはこう演奏するもんだというあたまで誤解して演奏してたのかも。
というのはプレートル好きのバイアスがかかっているかもしれませんが、客観的に言えば、こんな↓かんじでしょうか。
まず「コラール」であるということ。「合唱付」じゃないんだってはじめて気がつきました。オケの間だけじっとがまんして、合唱になるとわあーーというあの感じがまったくありません。全体の一部なのです。「サムソンとデリラ」に名盤のあるプレートルならではの曲の扱いだと思いました。
それから合唱団。ウィーンだけどやっぱりドイツ語圏であってフランスのとは違うということをちゃんとつかまえています。うまくいえないけど、ホフマン物語で最初に出てくる学生の合唱、あの感じです。
最後にテンポですけど、ほんとプレートル!
まったく勝手なんだから、マエストロ。』
(saffi)
――――――――――――――――――――――――――――――――
saffiさん
『「コラール」であるということ。「合唱付」じゃないんだってはじめて気がつきました。オケの間だけじっとがまんして、合唱になるとわあーーというあの感じがまったくありません。--------- 』
というsaffi さんの指摘は、なるほどです。
わたしは40年間以上ずっとベートーヴェンの音楽を愛好してきましたが、このプレートルの演奏は、ほんとうに愛すべきもので、音楽的な躍動感に溢れた幸福な演奏です。現代にあってこのような演奏を可能にするのは、極めて強靭な精神があってのこと、強くそう思います。
(タケセン)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
タケセンさま
「現代にあってこのような演奏を可能にするのは、極めて強靭な精神があってのこと、強くそう思います」(タケセン)
本当ですね!
世代も違うし音楽教育も変わっているはずで、きっと思いどおりにはならないでしょうけど、それでもやってのけるのがすごいと思います。プレートルは、若いころはよく怒ったが今はそんなでも、と何かのインタビューでおっしゃっておられましたが。
いいCDを教えてくださってありがとうございました。
(saffi)
わたしは、12月16日のブログに「今年の暮れはプレートルの第九で」と書きましたがhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1024473138&owner_id=548859、聴き込むうちに、どうも暮れに一年の締めくくりとしてではなく、初々しく新年を迎えるのにピッタリだ!と感じましたので、訂正します。「プレートルの第九は、新年にこそふさわしい!!」と。
みんさん、ぜひ購入してお聴きくださいhttp://www.hmv.co.jp/product/detail/3307280。なにものにも負けない偉大な精神を感受して、深く大きなよろこびを持つでしょう。
以下は、先月ですが、「プレートル」というコミュニティでのやりとりです。
今月(2008年12月)の新譜で素晴らしい「第九」が出ました。
2008年のニューイヤーコンサート、熱く感動的な指揮で聴く者を魅了したフランス楽団の大御所ジョルジュ・プレートルのベートーヴェンです。
もう大昔になりますが、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」全曲や、ビゼーの「カルメン」全曲(カルメンはマリア・カラス)で、その豊かな情感と艶やかな音楽にほれ込んで、わたしが長年愛聴してきたLP(両者共にCD化されています)の指揮者がプレートルです。
彼の第九は、実にチャーミングです。もう84歳(録音時は82歳)のプレートルは、ほんとうに若々しく情感豊かです。若い指揮者よりもずっと音楽が瑞々(みずみず)しく、色っぽいのは不思議です。響きのふくよかな美しさは、今はすっかり失われてしまったものですが、明晰で緊迫感をもった大迫力の演奏がしなやかで柔らかい音で奏でられているのですから、聴き手は大きな幸福感に包まれます。今年の年越しは、情感あふれる見事なプレートルの「第九」を!(このCDは音量レベルが低いので、ボリュームをあげてお聴きください)
タケセン(武田康弘)
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タケセン様
おおおおお、なんと素晴らしい。
巨匠の感性の指揮、明日早速買ってこなくては。
この年齢にして情熱的な指揮振りとは、素晴らしいスーパーご老人です。
(カルーア@紬子屋)
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カルーア@紬子屋さん
12月10日発売ということでしたので、HMVで予約しておいたのですが、8日に届きました。すでに6回聴きましたが、聴くほどに好きになる「豊かな」演奏です。艶と色気がなんとも素敵!豊穣でかつ怒涛の迫力です。
カルーア@紬子屋さん、早く聴いて~~(笑)。
(タケセン)
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カルーア@紬子屋、タケセンさまこんにちは
タケセンさま、はじめまして
新譜、教えていただいてありがとうございます。
私もやっと買って聞きました。
ミクシィのレビューにのせましたので、どうぞタケセン様もお書きください!
プレートルは大好きですが、ほんとをいうとあたりはずれの大きい方ですから、ちょっと躊躇しました。
でもこれはあたり!
実は大人になってからきらいになった作曲家の一人にベートーベンがありまして。なんでかっていうとダサいんですね。こんなことを言うと矢が飛んできましょうか。
しかしプレートルがやるとダサくない。そして力強さもちゃんと残っている。ベートーベンさまごめんなさい、本当はこう書いたつもりだったのに、みんながベートーべンとはこう演奏するもんだというあたまで誤解して演奏してたのかも。
というのはプレートル好きのバイアスがかかっているかもしれませんが、客観的に言えば、こんな↓かんじでしょうか。
まず「コラール」であるということ。「合唱付」じゃないんだってはじめて気がつきました。オケの間だけじっとがまんして、合唱になるとわあーーというあの感じがまったくありません。全体の一部なのです。「サムソンとデリラ」に名盤のあるプレートルならではの曲の扱いだと思いました。
それから合唱団。ウィーンだけどやっぱりドイツ語圏であってフランスのとは違うということをちゃんとつかまえています。うまくいえないけど、ホフマン物語で最初に出てくる学生の合唱、あの感じです。
最後にテンポですけど、ほんとプレートル!
まったく勝手なんだから、マエストロ。』
(saffi)
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saffiさん
『「コラール」であるということ。「合唱付」じゃないんだってはじめて気がつきました。オケの間だけじっとがまんして、合唱になるとわあーーというあの感じがまったくありません。--------- 』
というsaffi さんの指摘は、なるほどです。
わたしは40年間以上ずっとベートーヴェンの音楽を愛好してきましたが、このプレートルの演奏は、ほんとうに愛すべきもので、音楽的な躍動感に溢れた幸福な演奏です。現代にあってこのような演奏を可能にするのは、極めて強靭な精神があってのこと、強くそう思います。
(タケセン)
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タケセンさま
「現代にあってこのような演奏を可能にするのは、極めて強靭な精神があってのこと、強くそう思います」(タケセン)
本当ですね!
世代も違うし音楽教育も変わっているはずで、きっと思いどおりにはならないでしょうけど、それでもやってのけるのがすごいと思います。プレートルは、若いころはよく怒ったが今はそんなでも、と何かのインタビューでおっしゃっておられましたが。
いいCDを教えてくださってありがとうございました。
(saffi)