思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ビラを入れたら逮捕!?!?警察・検察・最高裁の判断は妥当か

2009-12-01 | 社会批評
以下は、昨日の「東京新聞」夕刊の見出しです。

「最高裁は現実見ていない」被告の僧侶、判決を批判 

(最高裁が)行き過ぎた立件を追認



葛飾区の市議による議会報告のチラシをマンションのポストに入れたということで、2004年12月、地元の僧侶が逮捕されるという、なんとも不可解な事件が起きました。僧侶の荒川さんは、春と夏の年2回、共産党市議の議会報告のチラシを配っていましたが、玄関ホール掲示版に「敷地内に入り、パンフレットの投函、物品の販売などを行うことは厳禁です。」という張り紙のあるマンションのポストにチラシを入れたため、住居侵入で逮捕されたのです。

ところが、ふつうの常識をもつ社会人なら誰もが耳を疑うこの逮捕を検察が立件し、最高裁もそれを追認する判決を出したのです。驚くというか呆れるというか、言葉を失います。被害届も出されていない穏やかな市民の活動を、警察が取り締まり、逮捕し、それを検察が立件し、最高裁判所がそれに従って判決を下す、というのは、民主主義国家の自己否定でしかなく、「官は市民的公共を実現するためにのみ存在する」という原理・原則に反し、「官が決めたことに市民が従う」、という逆立ちした話にしかなりません。


21世紀の日本では、「敷地内に入り、パンフレットの投函、物品の販売などを行うことは厳禁です。」というマンションのポストには、ピザ屋などのお店案内のチラシも、市民映画祭などの催し物案内のチラシも、入れたら、逮捕、そして有罪確定、ということになったわけです。「官」(警察・検察・最高裁)が市民活動を取り締まる国でよいと思う人は、極めて少数だとわたしは思いますが、みなさん、どう思われますか?

民主主義という思想をしっかり学び、それを実践する人を育てないと、わが国の未来は開けません。委縮する市民、有無を言わせぬ官、これでは「管理主義のおぞましい近未来」の映画を見るようです。


武田康弘
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以下は、コメント欄です。

まったく同感!ひどすぎる (きくちゆみ)
2009-12-01 17:55:28

前にも同様の事件がありましたが、商業的なものは放置され、少しでも政治的(とくに共産党関連など)だと逮捕される、という信じがたいことがまかりとおっています。これにだまっていることは、このような社会を認めることになり、民主主義を自ら瓦解させていることになります。このようなブログなどで発信したり、新聞に投稿したり、地元の政治家に訴えたり、いろいろやりましょう。どうもありがとうございます。

私は今、米国の建築家で「911の崩壊は制御解体だった」と主張しているグループの代表を招聘して、12月4日から横浜、東京など7カ所で講演会をします。どこかでお会いできたらうれしいです。
http://911.globalpeace.jp/
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あきれかえる! (山脇直司)
2009-12-01 21:22:08

武田さんの意見にまったく同感です。最高裁判所長官を政府が「お上のような形で」一方的に任命するという現状からして、司法の独立を疑わせるに十分ですが、ここまでひどいとやり切れません。最高裁判所は、どうやら最低裁判所のようです。
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正邪を決めるのは何か? (古林 治)
2009-12-01 21:44:43

民主制社会において、法は私たち市民の意志の現れであり、それを支えるのは私たち市民の良識です。
その良識が住居侵入の罪と解釈するのでしょうか!? まさか!
警察、検察、裁判所に人々の良識をおもんぱかる姿勢が微塵もないことが良くわかります。彼らは、正邪を決めるのは自分たちであって、下々の人間ではないとでも思っているのでしょう。何という幼稚さ!何という傲慢不遜!何というおぞましさ!
これがエリート主義の成れの果て。こんなことを許してはなりません。
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歪んだ権威主義 (青木里佳)
2009-12-02 00:08:20

ひどいですね!
ここにも歪んだ権威主義がよく表れています。
権威・権力を持つと「自分達が偉いんだ。周りは自分達に従うべき。」という変な錯覚を持ってしまい、傲慢な態度になるのでしょうか。
わたしたちふつうの市民が厳しく批判すべきです。官の人は深く反省しないといけません。
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官の「民主思想」の無知 (タケセン=武田康弘)
2009-12-02 01:30:24

みなさん、コメントありがとうございます。

もしも、きくちゆみさんの言うように、
政治思想を取り締まるのだとしたら、あってはならぬ警察権力による市民社会の支配です。それでは、暗黒社会に転落し、国が滅びます。

どうも、警察や検察は、ふつうの市民社会の常識から逸脱し、民主主義についての正しい認識をもっていないようです。政府は、官僚に対して、きちんとした民主教育をする義務を果たさなければいけません。

官は、民主制国家においては、ほんらい「市民的公共」(市民的自由に基づくシチズンシップ)実現のためにのみ働くのです。戦前のように「市民的公共」とは異なる「公(おおやけ)≒国家」のためという思想を持つことは、原理上許されない。それが主権在民から導かれる答えなのです。

最高裁判所も、最低裁判所と言われないように、民主主義という思想の意味と価値(=哲学)を身に付けなければ、存在理由がなくなります。このようなレベルの低い判決を出して恥ずかしくないのでしょうか。

この三者=警察官・検察官・裁判官のあまりの無知には呆れ果てます。猛省を促すと共に、「意味論としての知」を自分のものとする努力を求めます。まずは、己の無知を自覚しなさい。

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最高裁判決と三元論 (荒井達夫)
2009-12-02 23:36:32
 最高裁判決は、裁判所の判断で一番国民生活を左右する重要なものですから、国民の誰もが関心を持って、議論する必要があります。

 そこで、今回の最高裁判決に関する議論で大事なことは、「警察の存在意義の確認」であると思います。主権在民の民主主義国家を成り立たせるために、警察は必要不可欠の極めて重要な行政活動だからです。警察がしっかりしてくれなければ、誰も安心して暮らせません。「そもそも警察とは何のためにあり、どのような原則の下に行動すべきか。また、警察官の倫理はどうあるべきか。」が、問題の本質と言えるでしょう。この議論を、警察・検察・裁判所の方々を含め、国民の皆が、きちんとする必要があるのではないかと思います。その際、次の「警察法」第1章(総則)の規定が大変重要で、参考になります。


 (この法律の目的)
第1条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

 (警察の責務)
第2条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

 (服務の宣誓の内容)
第3条 この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法 及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。


 ここには、主権在民の日本国憲法に基づき、本来在るべき警察の姿が率直に書かれています。警察こそは、「全国民に共通する社会一般の利益」である「公共の利益」のために働いてもらわなくてはなりません。そのための基本原則が簡明に書かれているのです。

 なお、この問題は、「公・私・公共三元論」が有用であるかどうか、の議論にも直結しています。公(おおやけ)と公共を分けて、「官」は、公共ではなく、公(おおやけ)を目がけるのだ、と言ったら、主権在民に反し違憲と言うほかありません。

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「冤罪天国」の事実 (武田康弘=タケセン)
2009-12-03 10:12:33

荒井さん

その通りだと思います。
民主主義の国における警察の役割を、すべきこと、してはならぬこと、を明晰に自覚する(させる)ことが何よりも一番大事なことです。

ところが、わが国は、世界から「冤罪天国」とレッテルをはられるほど警察による人権侵害が頻繁に起きています。

経済大国ではあっても、警察が市民の自由を犯し、国連からも勧告を受ける国では、ひどく恥かしいことです。

警察の意向のままに立件する検察や、検察の結論通りの判決を下す裁判所であっては、民主主義国家としては失格です。

この歴然たる事実=現実をどう改善していくのか?その解決策が求められています。

何をどうしたらよいのでしょうか?

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ひどい話ですが、・・・ (平野慶次)
2009-12-05 10:21:26

武田さん

 警察と一言で言ってますが、普通に警察と思っているのと別に公安警察という治安維持警察があります。
 
 「公安」は、簡単に言えば思想統制・秩序維持を旨としています。長い付き合いの友人に警察に就職したのがいるのですが、京都府警の公安課に移りました。その途端にわたしに会いに来て、警告と共にわたしの書いた本を買って帰りました。「ピースフルな子どもたち」という本です。

 そして携帯の番号を教えてくれて何かあったら連絡を!でした。

 どうも京都では、他でもそうでしょうが、平和活動家は、ブラックリストに名を連ねているようです。

 どうぞご注意ください!

 誰もが逮捕される可能性がありますよ。

 銃刀法違反は、日常的に可能性が拡大されました。包丁を持っているだけで駄目です。どうやって包丁を買いに行けばよいのか?という声もありました。

 他にも色々逮捕の口実は作れます。

 昔の有名な手口は、オウムの時に久し振りに再現されましたが、「ころび公房」と言って、近くに接近して来て、こかされた真似をし、「暴力行為現認!現行犯逮捕!」とやるのです。

 しかし、最近の警察の鼻息の荒さには、腹が立ちます。

 裁判所は、ヘゲモニーの追認組織になり下がったというよりも、そもそもがそうだったのです。

 ではでは
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【わたしのまとめ】 (武田康弘)
2009-12-05 14:47:24

平野さん

なんとも酷い話ですね。
どうしてこういう事態が起きるのでしょうか?

わたしたち市民がお金を出し合って、警察官を雇い、警察署をつくっている、これは歴然たる事実です。

民主主義国家においては、市民の、市民のための、市民による警察でなければならない、「市民へのサービス」をすることが、ほんらい、警察官僚も現場のおまわりさんも等しくその仕事の本質です。

決して、市民の上に立つような言動をとったり、市民を威圧するようなことがあってはなりません。まして、思想を取り締まる、「平和運動家をブラックリストに載せる」!?ということは、絶対にしてはならぬこと、それをすれば警察法違反および公務員法違反により、厳しい処分の対象となるはずです。

いうまでもなく、「暴力行為」を行う人や団体(極左、極右、暴力団)を厳しく取り締まり、わたしたち市民の安全・権利を守るのが、警察の一番の使命です。

太平洋戦争敗戦までの警察は、中学校、高等学校の教科書にも明記されているように、市民の自由を抑圧し、小林多喜二のような文学者までも拷問で殺し、敗戦直後も「治安維持法」や特高が残っていて、著名な哲学者の三木清も獄死させました。多くの社会思想家・運動家・法律学者・宗教家・・・・が「治安維持法」という名の「自由取り締まり法」により、恐ろしい目にあったわけです。自由な市民は警察の監視の対象でした。白樺派の柳宗悦も。

このような、戦前の『大日本帝国憲法』における「公(おおやけ)=国家」という思想の下で、「市民的公共」を弾圧してきた警察のありようを、180度変えたのが、GHQによる日本の民主化だったわけです。

天皇主権から国民主権へと逆転した新憲法=『日本国憲法』の下で、国民サービスとしての警察が誕生することになりました。過去を反省・否定して、民主警察として新しい出発を果たしたのです。

それが、民主主義の理念に基づく、現在の『警察法』に記されています。荒井さんがコメント欄に書かれた通りです。

第1条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

この『警察法』の目的に従い、それを具現化するのがほんらいの警察の役割・仕事なのですから、この主権在民の民主主義理念を明晰に自覚し、「市民の市民による市民のための警察」となるように、日々、研鑽を積むことが求められるのです。これは原理です。

憲法改正により、「天皇の官吏」から「国民の奉仕者」に転換したはずの官は、そのことを深く自覚しなければ、市民から雇われて仕事をしている者としては、根源的な倫理違反になってしまいます。

主権者の集合意思により、ひとりひとりの市民の安全・人権を保障するために極めて大事な仕事を請け負っているのが警察なのですから、警察官のみなさん(現場の人も官僚も)は、それを肝に銘じなくてはなりません。国民全体への「サービスマン」としての誇りを持って。検察官も裁判官も同じです
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公共の哲学の議論を! (荒井達夫)
2009-12-06 09:59:05

それにしても、警察法の総則は良く出来ていると思います。小学校から授業で教えるべきではないかと思えるほど、素晴らしい内容です。


 (この法律の目的)
第1条 この法律は、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持するため、民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し、且つ、能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定めることを目的とする。

 (警察の責務)
第2条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

 (服務の宣誓の内容)
第3条 この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。


特に「日本国憲法及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する」は、「全体の奉仕者」(憲法第15条)である公務員の行動原理の中核を示すもので、これは警察官だけでなく、すべての公務員に共通して言えることだと思います。誰が聞いても、「本当にそうだよな」と納得できるのではないでしょうか。私は、これを公務員法に明確に規定すべきではないかと考えています。不思議なことに、現行法はそうなっていないのです。

主権在民の日本国憲法下、すべての公務員は、「全国民に共通する社会一般の利益」である「公共の利益」の実現だけを目指すべきであって、「公共の利益」と異なる「国家の利益」や「官独自の利益」の実現を図ってはならない。だから、「日本国憲法及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する」となるのだと考えます。

こうした「公共の哲学=みんなの哲学」に関する議論が、実務家、学者を含め、国民の間で広く活発に行われることを、強く願っています。
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法・理念の明晰な自覚化を (武田康弘=タケセン)
2009-12-07 16:54:12

荒井さん
見事な民主主義の理念のもとに「警察法」が出来ていますね。
まさに戦前の反省の上に立った法です。
これをどう現実のものにしていくのか。それが最大の問題ですが、まず第一には、この法の精神=理念の明晰な自覚化の営みが必要ですよね。






コメント (11)
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