天皇というひとりの人間の意思を、宮内庁という一つの役所がすべて代弁するという現在のシステムは、明らかに主権在民に基づく人権・民主主義の『日本国憲法』に反します。
天皇・皇室に関することは、なにがほんとうか?がまったく国民には分からず、ただ宮内庁の官僚が発表する公的言辞でしか知ることができません。
これは、異常な事態です。「国民主権」を定めた憲法第1条には、天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と明記されているにも関わらず、主権者である国民は、天皇・皇室について直接知ることができず、宮内庁という役所の発表を聞くのみというのでは、戦前の天皇制と同じであり、明らかに違憲です。
小沢一郎さんの言うとおり、役人が、国民の意思を体現する内閣総理大臣の言を否定するのなら、民主主義ではなく「主権在官」の官僚支配でしかありません。
憲法第3条は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」となっています。いうまでもなく、宮内庁の役人は、内閣の決定に基づいて仕事をするのみであり、宮内庁が独自の意思をもつことはできないのです。
宮内庁の思想や秘密主義には、以前から多くの批判がありましたが、今回、小沢一郎さんが民主主義と憲法の問題として明確に官僚を批判したことは、極めて大きな価値を持ちます。天皇制のありようを具体的なレベルで考えるキッカケになります。とてもよいことです。
宮内庁の問題については、わたしの知人のKさんもブログに以下のように書いています。
一部を貼り付けます。
宮内庁長官は次官経験者がなるのだが、日本で最も奇怪な人間の一人である。
雅子さんがやっと愛子ちゃんを生んだ時、当時の長官がこう言った。
「これでは国民が納得しないだろう。秋篠宮家に第三子を期待したい」。
普通、そういうことを言うか?
天皇が忙しくて体調を崩すのは、どうでもいい公務が多過ぎるからだ。
植樹祭にしろ国体にしろ、別に天皇が行く必要はない。
そもそも、そういう行事自体果たして必要なのかどうか。
だが最大の問題は宮中祭祀である。
聞くところによると、反日・・・じゃなかった、半日祈り続けることもあるらしい。
しかものその間中、宮内庁楽部の人が背後で演奏をしているのだという。
天皇も演奏者もふらふらになるそうだ。
そんな、国民の誰も望んでいないことを続けることに意味があるのか。
だいたい宮中祭祀とは何なのか。
そういう議論すらできないのである。
それにしても、宮内庁の縮小がなぜ論議されないのか。
皇族の世話をするだけのために、どうしてあれほどの組織が必要なのか。
しかしここは聖域らしく、一度もメスを入れられたことはない。
この問題で、宮内庁自体が抱える問題がクローズアップされるといいのだが。
(K)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2 コメント
思考停止状態 (古林 治)
2009-12-16 10:42:27
私も宮内庁の実態を開き、議論すべきとても良い機会と思ったのですが、なんとどのメディアも柔らかな小沢批判。
問題の本質がまったく見えないまま世の空気に迎合する有様。
憲法と民主制にもろにかかわる問題なのに、天皇に関係するとここまで思考停止状態に陥るのですね。
ショック!!
まともな議論を心から望みます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
治外法権ではないはず (武田康弘=タケセン)
2009-12-16 18:34:51
古林さん
まったくその通りですよね。
宮内庁とは、治外法権の役所ではないはずです。
オープンな議論・本質的な議論を活発にする必要があります。
天皇・皇室のありよう、皇族の人権等について主権者が話し合い、公論を形成していくことが求められますね。