思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

新憲法と天皇制(小沢一郎さんの発言を受けて考える)

2009-12-22 | 社会思想

太平洋戦争が敗戦により終結するまでは、わが国は天皇が主権者であり、国家宗教上の最高権威者(現人神・あらひとがみ)であり、軍隊の統帥権者(したがって日本軍は皇軍と呼ばれた)であったわけです。

宗教、政治、軍事のすべての領域で、皇室のトップである天皇が、国体の中心者でした。それを規定したのが、天皇から臣民に与えられた「大日本帝国憲法」(欽定憲法)です。このことは、義務教育でみなが習う歴史的事実です。

敗戦後は、GHQ(連合国総司令部)による民主化が行われましたが、それがスムースに実現された一番の理由は、明治政府がつくった上記の「近代天皇制」(天皇現人神の「靖国思想」と、それを支える「天皇の官吏としての官僚」と、その官僚主義を正当化する「東大法学部の権威」による支配)の下で、抑圧されながらも民主化のために粘り強く闘い、努力した明治初頭以来の日本人の「民」の伝統にあります。

新憲法の制定においても、その最大の功績は民=素人の力であったことは、現代史の研究により明らかにされています。それは、色川大吉さんを中心とした民衆史や、下のブログで紹介した古関彰一さんの『新憲法の誕生』などを学べば、よく理解できるでしょう。

新憲法(日本国憲法)の下では、天皇は儀礼を司るのみであり、一切の政治権力を持ちません。形式上は、『日本国憲法』は、欽定憲法である『大日本帝国憲法』の改定ではありますが、その内実は、天皇主権から国民主権への大転換にあり、まさに新憲法=民定憲法であるのです。

ところが、「宮内庁」という役所は、戦前の天皇像(世俗的権力の保持者でありながら聖なる存在であった)に縛られ、主権者は国民であることの認識が極めて曖昧です。まるで天皇の名で語ればなんでも通ると思っているかのようです。「象徴」という地位は、国民の総意に基づいてのみ与えられているに過ぎず、天皇や皇室をどのようなものにするかは国民の「一般意思」にある、これが新憲法の規定であり、すでに一般常識となっています。天皇といえども、主権在民に基づく新憲法の枠内の存在でしかない、という歴然たる事実を「宮内庁」は明晰に意識しなければなりません。

小沢一郎さんの見解は、【天皇の行為については内閣がその責任を負う】という極めて正当なものであり、この点では議論の余地はありません。

ただし、それ以上の話になると、いろいろ考えなくてはならないことがたくさんあります。いままでタブー視されてきた「天皇制」の問題は、みなでオープンに話し合わなくてはいけませんが、その機運をつくったという意味でも、小沢さんの功績は極めて大きいと言えます。

わたしは、以前『皇族の人権と市民精神の涵養』を書きましたが、素描にすぎませんので、天皇や皇室のありようを「人権及び民主主義の問題」として更に考え・対話していかなくては、と思います。


武田康弘


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