思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

哲学・思想の限定性をよく自覚することが、よい思考(=能動的な主観性の知)を生む条件

2009-12-13 | 恋知(哲学)

すべてに通用するような見方=思想はない。そういうものは、かつて存在しなかったし、これからも存在しない、これは、ふつうの人は誰でも分かっている「真実」です。宗教的な「絶対真理」という概念にとりつかれた人でないならば。

状況、時代や人の違いを超えてすべてに妥当する見方=思想はないのですから、誰であれ、考えるべきことは、いまの自分や社会にとって、どのような考えが大切か?ということです。

思想の役目は、いま欠けているもの(こと)は何か?を見極め、それを補うような考えをしっかり示すことであり、同時にまた、積極的によきものを生むための考えを提示することです。それ以上でも以下でもありません。

ところが、思想や哲学を専門にしている人やそのファンには、状況、時代や人の違いを超えてすべてにあてはまる考えがあるかのように思い込んでいる人が少なからずいるので困ります。

いまの社会に必要な原理的な考えはありますし、それを明晰に示すことは必要です。しかし、それは、極めて基本的・一般的なことを言うに留まります。具体的な問題への思考は、それをどうするかという「能動性」と、どうしたいかという「思い・想い」を外しては成立しないのです。

これをよく自覚しないと、学問主義・主知主義へ陥り、知らぬ間に自分が「神」となり、上空飛翔的な思考の中で、言葉だけの現実世界でいい気になる根元バカになってしまいます。これは、わたしを含め、思想や哲学に関わる者が一番心しなければならぬことです。

私の願いは、哲学(=ものごとを大元に戻して考え、その意味と価値を問う営み)を日常言語(一次言語)で語り合うような世界をつくることです。そうすることで、皆の生の中身が豊かになり、内面世界が広く深くなるからです。それはエロースの生そのものです。また日常言語で考え・語る習慣を多くの人がもつことは、理論言語(二次言語)の世界に生きる人が偉いというおかしな妄想(=不健全)を元から断つことにもなります。

『具体的な問題への思考は、それをどうするかという「能動性」と、どうしたいかという「思い・想い」を外しては成立しないのです。』
ということがしっかり自覚できれば、権威者に頼っても意味がなく、自分自身の考える力を養う以外に道はないという深い了解がやってくるはずです。「能動性」も「思い・想い」もみな主観性の知・力であり、客観知ではありません。


武田康弘
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2 コメント

みんな必見!! (hiromin)
2009-12-13 23:06:04

このブログは 哲学するってなんだろうということ(根本)があらためてとても分かりやすく書かれていている。みんな必見だゾ!!
学者など有識者(もちろんふつうの人も)が陥りやすい罠をズバリと指摘しているし 、うむむ、、さすがすごいー!!
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心身全体で能動的に生きる (武田康弘=タケセン)
2009-12-16 18:15:10

hirominさん
お褒め頂き、感謝です。
書物・活字の罠とも言えますが、現実が活字に中の現実となり、言語で整理することが一番のエロースになり、しかもそれが「偉い」と思い込むようになる。なんとも愚かな話です。
わたしは、心身全体を使って能動的に生きることを心がけています。共に!!




コメント (2)
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