TTTという匿名の方から、幾度もコメントが寄せられています。酷い言い方(中傷)で応対する必要はないのかもしれませんが、この際、確認のためにもまとめてお応えしましたので、ブログとしても出します。
この謎の人物(山脇直司さんと瓜二つの思想=言説をもち、nessie(ネッシー)さんの質問への返信で急に言説内容を変えた人)によるわたしへの「為にする批判・批判のための批判」は、荒井達夫さんの言われる通り、まともにお応えするに値しないものですが、
このブログにはあまりなじみのない方のために、書きます。
従来の「大学内哲学」ではなく、「恋知としての哲学」(生活世界=具体的経験につく哲学)へのコペルニクス的転回が必要な理由と、その実際・内容については、東大出版会の『ともに公共哲学する』(83ページから173ページ)にありますが、このオリジナル版は『白樺教育館』のホームページで読むことができます(教育館だより 81、 84)。
また、開かれた私(大我)と閉じた私(小我)についてのわたしの哲学については、おなじく『白樺教育館』のホームページに掲載してありますので、ぜひ、ご覧ください(教育館だより132)。わたしが、書物に頼らず、私自身の具体的経験から生みだす思想(切実な相談者との対話とそれを受けての抽象化の努力)がどのようなものかが了解されると思います。
また、わたしのサンデル批判は、NHKの放映初日から行っていますが、主に東京大学大学院教授(当時)の山脇直司さんとのやりとりで、小林正弥さんが主宰する「公共哲学ml」におけるものです。放映初日からサンデルの問題点を明白にした為に、わたしはこのmlから除名されたのですが、その内容は、すべてそのまま『白樺教育館』ホームページで読むことができます(教育館だより126)。
東大関係者が必ずしも「東大病」なのではなく、日本人の多くが東大病である(かえって東大卒でない人がより酷い東大病であることもある)というわたしの指摘は、「東大病をめぐる対話」に明白であり、TTTさんの批判は全くのウソですが、これも『白樺教育館』のホームページにありますので、ぜひ、お読みください(教育館だより115)。
最後に、わたしは、TTTさんが言われる通り、大学の哲学学者とは異なります(みなさんが知っていることです)が、それが何か不都合・問題なのでしょうか?不思議なことを言う人ですね(こういう思考・言い方も山脇直司さんと瓜二つ)。今さらですが、わたしは哲学学者ではなく、哲学者なのです。
なお、一連の公共をめぐる討論については、『公共をめぐる哲学の活躍』として分明に記しましたが、これは、国会議員の方をはじめかなり広く各界に配布されています(教育館だより127)
武田康弘