思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

一体、NHKの誰がどういう意図で「不公平」な報道をしているのでしょうか?

2011-09-21 | 社会批評

ほんとうに不思議なことですが、民主主義社会であるはずのわたしたちの国で、統制国家のような報道が行われています。

マスコミ人は、「正義」という意識・「自立」する精神・ジャーナリストとしての「誇り」を持たず、ただ日々の自身の安泰のために生きるのでしょうか?

一昨日、「さようなら原発」という5万人大集会が行われたとのことですが(写真で見ると明治公園を人が溢れ出しています)、この驚くほど大規模な集会とデモをNHKは報道しませんでした。『東京新聞』は一面に写真付きで記事を載せていますが(「こちら特報部」にも二面にわたって報道)他の新聞はどうなのでしょうか。

他国の集会やデモは繰り返し報道するのに、自国については大規模なものでも報道しないという放送局を「公共放送」と呼べるのでしょうか?

共産党による規制のある中国と同じような報道には、ほんとうにガッカリです。「自由」や「民主」が飾り言葉に過ぎないようでは、民主主義社会ではありませんね。やはり今でも天皇現人神の「国家」!?(笑)。


武田康弘
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個人の自由は、共同性をつくる前提です。

2011-09-21 | 社会思想

個人の自由を奪う権利は誰にもありません。
法律に反する言動、または、他者が嫌がる非常識な言動をするのでない限り、個人の自由は最大限に尊重されなければなりません。

人間の対等性に基づく自由は、公共性をつくり拓くための前提です。
対等な権利をもった個人が、互いの自由を認め合うという基本的約束事を踏まえた上でつくるルール社会が、近代の民主主義社会です。

特定の組織や団体がもつ力によって個人の自由が奪われることがあってはなりません。これは原理中の原理です。したがって、先に書いたライフガードの言動は、【根源ルール】(民主制社会の基本原理)に反するものです。

以上はあまりに当然の話ですが、戦後66年が経過した今日、この基本中の基本である「社会や公共について考え・語り・判断するための前提」が不明瞭になっています。そこから、さまざまな混乱が生じ、人間性の抑圧が起きるのです。 元検事の郷原信郎さんが指摘する『遵法主義』という歪みも、この前提が失われていることに起因します。
(☆郷原信郎著の『思考停止社会ー「遵守」に蝕まれる日本』 (講談社現代新書) は、日本人みなに読んでほしい本です。)

相互に助け合う社会・補助し合う社会は、個々人の自由を前提にしなければ、集団抑圧社会へと転化してしまいます。対等性に基づく自由こそが、民主的な相互性を生みだす条件なのです。集団性(昆虫社会)と共同性(人間社会)は根本的に異なることを知らなければなりません。


武田康弘

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