記憶マンや情報処理に長けた人を、人間としての「頭がよい」とは言えないでしょう。
自分の日々の生活から、多様な意味と価値を見出す能力がなければ、人間とは、何かを「処理する」だけの存在にすぎなくなります。
受験テストで高得点が取れる型を身に付けた人は、「自分の体験を基に自分の頭で考える」ことがひどく苦手です。
東大法学部卒の人は、わたしの知る限り、従順・真面目ですが、既成の枠組みの中でしか頭脳が働かず、本質を抉る力が驚くほど弱く、到底、人間としての頭がよいとは言えません。
しかし困ったことに、彼ら(彼女ら)は、自分は頭がよいと思っています。「自覚した罪は半ば許されている」という格言がありますが、無自覚ではどうしようもありません。
そのような人がさまざまな分野でトップを占めているわが国は、不幸です。
どうでもよい事実の積み上げばかりが行われ、根本・本質についての意味論的追求がないのでは、人間の生と人間の社会としては失敗・失格です。知的教育を根本的に見直さなければ、わが国の未来は開けないでしょう。日本人の多くが罹っている「東大病」からの快癒は、出直しのための基本条件です。
ああ、 紋切り型!!
武田康弘