8日のブログ、『愚かな日米開戦から70年ー個人の育成が必要です。』にわたしは、「システムがあり、個人がない」というのでは、まさしく昆虫社会です。」
と書きました。
これは、わが国の宿痾ですが、システムが個人を支配するという現実を変えないと、どんなに努力しても、豊かさや悦びの人生と社会はひらけないはずです。
8日のブログを再録しますが、
「個々人のそれぞれの考えを育てる教育がなければ、日本という国は、昆虫社会にしかなれません。人類社会に一番必要なのは、個人の責任意識の育成ですが、それは自由な言動なくしては生じないのです。自己決定しなければ、責任意識は生まれません。
だから、日米戦争にゴーサインをした天皇ヒロヒトも、責任意識がなかったのでしょう。自分が決めたのではなく、空気でそうなった、と思うヒロヒトは、敗戦の結果にも責任を取ろうとはしなかったのです。システムがあり、個人はいない、というのでは、まさしく昆虫社会です。」
システム内人間。
システムが先で個々の人間が後。
個々の人間のためにシステムがつくられるのではなく、システムの維持のために一人ひとりは存在する。
こういう本質的に非人間的な考え方に支配されている限り、生きる悦びは永遠にやってこないはずです。
保守派であれ、革新派であれ、日本主義者であれ、欧米主義者であれ、です。
「型」に価値があると思い、あるいは「理論」に価値があると思っているのでは、イキイキ生きる、自由に発想するというよき生の基本が得られません。
わたしが昔から繰り返し言う【様式による意識の支配】から脱却するための条件整備が必要です。
仏頂面で、
特定の価値に縛られ、
主義に固執した人生。
もんきり型で、
理屈優先で、
固い心身。
権威が価値で、
様式が支配し、
内側から生きるという生の基本がない。
われわれ人間の社会は、女王バチのいる昆虫社会ではありません。各自は自由と責任をもつ対等な存在です。
自由の別名である意識をもつ人間存在は、それにふさわしい生き方=思想と行為によって社会をつくる以外の選択肢はない、このことの明晰な自覚が何よりも大切です。
武田康弘