思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わが日本人、形は社交的、中身は独我論の人が多い理由は?

2014-11-18 | 恋知(哲学)


わたしは、長年、実に多様な人々と交流をもち、多くの社会運動や文化運動≒趣味活動をしてきましたが、
どこでも強く感じることがあります。

なんで、こんなに嘘つきなのか!ということです(笑)


あることは、誰がやり始めたのか、あるいは、言い始めたのか?
述べられている情報・事実、あるいは考え方をどこで、あるいは、誰から知ったのか?
自分で直接体験して得たことなのか、何かの情報で得たことなのか?
なぜ、どのような経緯でその経験や体験をすることになったのか?


こういう肝心かなめなこと、文章で言えば全体の文脈ですが、
それを省くこと・無視することは、深いエゴイズム(表層的にいい人を演じる自我主義者)の結果ですし、はっきり言えば詐欺行為です。

ためらわずに自己主張(ホンネを語る)すれば、裏の隠れた自我は表に出ることで燃焼し、さわやかになるのですが、いい人・カッコイイ人であろうとする(深いエゴイズム)人は、いつも自分を少しでも高く見せようとするので、一生、不完全燃焼のエゴイズム世界で生きるのです。一番汚らしいエゴーー表層キレイで中身は毒素人(笑)。  誰にどう思われようと、そのままを示すこと、自分の言葉や行為の【背後を隠さずに示す】こと、それがなさ過ぎ、というのが、わたしがいつも感じることです。何に、あるいは、誰に学んだのか・影響されたのか?を隠してはいけません。

ほんとの意味で正直にならねば! それが豊かで伸びやかで、生き生きした人生を拓きます。
わが日本人には、【くぐもった顔】や、【演出した笑顔】の人が多すぎる、わたしは強くそう思いますが、みなさまはどう思われますか?

紋切人をやめて、素を出せる愉快人になりたいですね。


武田康弘

 

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